【感性を高める】小早川流、人の叱りかた
あなたは部下を叱る時に、どのような叱り方をしていますか? 叱り方一つで部下の成長が大きく変化することを忘れないで下さい。
こんにちは、茶人・小早川宗護です。私は茶道裏千家の師範として30名の直弟子を指導しつつ、最もハイレベルな茶会、茶事をビジネスとして展開しております。
私の生きる茶道の世界は、今の世の中には珍しい、厳しい縦社会です。生徒達にとって私のような師範は絶対ですし、そこに年齢・社会的地位は関係ありません。私の直弟子に70代の元経営者の男性が数名おられますが、彼らにとっても私は絶対的存在です。ですから叱る時も、よくよく叱り方を注意しなくては「ただ厳しいだけの先生」と言う見方に陥ってしまいます。
わたくし自身、茶道の師範としてはかなり厳しい事を言う類だと思っております。「言い方が厳しい」のではなく「内容が厳しい」のです。座っている時の姿勢や点前の最中の指使い、体勢、お辞儀の角度、道具の配置などとにかく基本的な部分を徹底的に厳しく指導しております。参考までに、写真にある「鏡柄杓」と呼ばれる構えですが、これがちゃんと出来るようになるのに、感性の良い人で5~10年かかります。
「言い方が厳しい」のと「内容が厳しい」のはまったく別物である、と言うのはお解りの通り。例えば弟子が茶をこぼすなどの粗相をはたらいたとして、それを厳しく正すとき、「何でそんなことすら出来ないんだ!」と言う言い方はしておりません。かならず「なぜこぼれてしまったか、わかりますか?」と言う問い掛けによる叱責を心掛けております。
「何でできないんだ!」と言う言い方をすれば弟子の心象はどうか。例えば私のように姿勢や指使いなど細かい部分を指摘するときにそのような言い方をすれば、弟子は自分の基本の出来ていない様を嘆くだけでなく、心のどこかに私に対する反発心を持ってしまいます。それだけでなく、若い弟子であれば強いショックを受けることもあるでしょう。
それを会社に例えるなら、部下を叱る時に「なんでこんなミスをしたんだ!」と罵倒するよりも、「ミスはミスだから仕方が無い。何故このようなミスが発生したのか、わかるか?」と基本的な部分を問い掛け、それ以上追い詰めないほうが良いのです。
「なんでこんな事が出来ないんだ!」「なんでこんなミスをしたんだ!」などの、「なんで~」ではじまる叱責は、相手の心を追い詰めてしまいます。と言うのも、「なんで?」と言われても弟子や部下の立場からすれば、「出来ない物は仕方が無いのに、出来ない自分の人格そのものを責められた」と思ってしまうからです。“叱る”と言うのは相手の人格を責めることではなく、ミスを指摘し再び再発しない対策を考えさせるための行為のはず。
仮に私が御社のコンサルティングに入ったとして、社長であるあなたに、「なんであんな叱り方しか出来ないんだ!?」と言われたとすれば、どう感じるでしょう。きっとあなたは、「俺はそんな叱り方しか知らないのに、そんな言い方しなくても」ように感じてしまうのではないでしょうか。
「なんで」と言う問い掛けは、「それまで何をしてきたのか」「それまで何を積み上げてきたのか」と言う相手の人生そのものに対する問い掛け。すなわち人格の本質的な否定に繋がってしまいがちのです。それでは、部下の心が離れてしまうことでしょう。
引越し・転勤などの事情で他の社中から私の社中に入門してくる弟子達は、揃って「こんなに良い社中は見たことが無い」と言ってくれます。しかも心から楽しんでくれる。その根本的な理由の一つに、「叱り方」があるのです。実際、私の弟子達は「もっと叱って下さい」と言う言い方はしませんが、「先生、この部分をもうちょっと教えて頂けますか?」と、みずから“細かい稽古”をつけてほしい、と願ってやってきます。もちろん、そんなときの私の指導はまさしく「鬼」ですが、彼らはそれでも喜んで私の指導を受けてくれます。
私のような非常に細かい基本的な部分を徹底する指導者にあっては、叱り方をよくよく注意しなくてはいけません。会社にあって部下に対して叱りつけるときもやはり、相手の人格を否定することがないよう、よくよく注意すべきだと考えております。
「叱る」とは「誤った行動・結果」をどのように取り返すか考えさせるための行為、すなわち相手を成長させるための行動なのです。ミスが発生すれば、部下は何も言わなくても落ち込んでいるもの。落ち込んでいる人に更に落ち込むような言い方をすれば、「こんな会社もう嫌だ」と思われてしまっても致し方無いでしょう。
「叱る」と「怒る」の区別が出来ないのは、二流の上司と言えるでしょう。
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