親子経営 父と子の断絶
ドイツのノーベル文学賞作家のヘルマン・ヘッセの『シッダールタ』という作品をご存じでしょうか。私のブログや拙著で何度か触れていますのでお馴染みだという方もおられるかと思います。
5,6年前に友人の勧めで読んで以来、親子経営コンサルタントとして講演等でお話しする際に必ずお話ししている話題でもあります。父と子の関係について語るには、シッダールタの親子関係を紹介することが最も分かりやすく共感されるからです。
今回もまた『シッダールタ』の話をしようとしています。何故なら実に多くの方が父と子の関係性で悩まれている現実を経営の現場でたくさん見ているからに他なりません。一組でも多くの父と子の関係性が改善されることを願ってお話しします。
シッダールタは物語の主人公です。仏陀が生きた時代のインドが舞台です。シッダールタはバラモン僧の息子です。父親の下で父親と同じようにバラモン僧になるべく育っていました。そんなある日、シッダールタはもっと広い世界でより深い真理を求めようと父の下を飛び出しました。
外に出たシッダールタはいろいろな人に出会い修行を積んでいきます。途中、仏陀とも出会いますが、在家にあって更に悟りを得ようと放浪をします。そんな彼が行きついたのが、ある大きな川の畔でした。
そこで川守の弟子をしながら静かで平安な時間を過ごしていました。そんなあるとき渡し船に長い旅に疲れ切った母と小さな男の子が乗ってきました。一目彼らを見てシッダールタは気づきました。
かつて街で暮らしたときに愛した女性とまだ見たことが無かった自分の子供であると気が付きました。母親は旅の疲れからまもなく亡くなります。幼い我が子をシッダールタは川守をしながら育てようとします。
喧噪の街で母親と裕福に暮らしていた息子はしきりに街に帰りたいと思います。そして急に現れた父親に反発し決して懐こうとしません。シッダールタはそんな息子をただおろおろとしどうしていいのかわからず戸惑うばかりでした。
数年が経ちある朝、シッダールタが目を覚ますといるはずの息子の姿がどこにもみえませんでした。息子はとうとう父親のもとを去ってかつて母親と暮らした街へ戻っていったのです。シッダールタは後を追おうとしますが、諦めて帰ってきました。
そしてシッダールタはまた以前と同じように川守をしながら悠久のときを大きな川の畔で静かに送ることになりました。そんなお話しです。
息子に出会うまでシッダールタは在家にあって仏陀と同じように悟りを得ることができたかに思えていました。にもかかわらず、突然目の前に我が子が現れた途端、それまでの修行や苦行が何だったのかと思われるほど動揺し取り乱すことになりました。
それほど父親にとって我が子というのはとてもとても大きな存在です。これほど愛おしく大切なものはありません。にもかかわらず息子にはそんな父親が煩わしくて仕方ありません。息子には父親は自分を束縛する邪魔な存在としか思えません。自分にはこれからもっと広くて大きな世界が待っているのに父親は自分をこんな何もない誰もいない辺鄙な川の畔に縛り付けようとしているとしか思えません。
父親にとって息子とは愛おしくて愛おしくて堪らないと同時にこれほどどうしようもない厄介な存在です。息子にとって父親とは一方的に愛情を押し付けられ疎ましく思える存在です。できることなら自分を放っておいて欲しいと思っています。
父親の愛情がいつしか執着になっています。息子を一人の別人格の人間として見ることが必要です。孔子のように息子と適当な距離感を持ち、孟子のように我が息子の教育は第三者に任せることもひとつの方法です。
息子もいずれは父親となり同じような体験をし、気づくことになります。人間とは愚かなもので、自分で気づくまではわかりません。人類の長い歴史を見てもわかる通り、愚かな人間は同じことを繰り返しています。
今、現実に親子関係で悩まれている親子が実に多くいます。父親が己の執着に気づき、息子が父親への感謝の念を抱いたとき、二人の関係性が変わってきます。父と子の互いの少しの気づきが父と子の断絶を少しずつ溶かすことになります。
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