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専門コラム「指揮官の決断」 No.041 合理的配慮

SPECIAL

クライシスマネジメント(想定外の危機への対応)コンサルタント

株式会社イージスクライシスマネジメント

代表取締役 

経営陣、指導者向けに、クライシスマネジメント(想定外の危機への対応)を指導する専門家。海上自衛隊において防衛政策の立案や司令部幕僚、部隊指揮官として部隊運用の実務に携わる。2011年海将補で退職。直後より、海上自衛隊が持つ「図上演習」などのノウハウの指導依頼を受け、民間企業における危機管理手法の研究に着手、イージスクライシスマネジメントシステムの体系化を行い、多くの企業に指導、提供している。

合理的配慮という言葉をご存知でしょうか。
 それは「合理的な配慮」のことだろう、と思われるでしょう。だから何だ?とおっしゃる方も多いかと思います。

実はこの言葉は法律上の概念です。
 平成25年の法律第65号として施行された「障害を理由とする差別の開放の推進に関する法律」の中に度々登場する用語です。

この法律では、行政機関は障害者の社会的障壁の除去の実施について必要かつ合理的な配慮をしなければならず、事業者は必要かつ合理的な配慮をするように努めることが要求されています。

法律の中に使われている言葉であるにもかかわらず、この法律の中では「合理的な配慮」とは何かが定義されていません。

この法律は2006年12月に国連総会において採択された「障害者の権利に関する条約」を我が国において批准するに必要な国内法の整備として成立された法律ですが、この条約の第2条に「合理的配慮」について定義がなされています。それによると、「障害のある人が他の人同様の人権と基本的自由を享受できるように、物事の本質を変えてしまったり、多大な負担を強いたりしない限りにおいて、配慮や調整を行うこと」となっています。

この法律の目的は、障害のある人々に合理的配慮を行うことにより、障害のある人もない人も互いにその人らしさを認め合いながら共に生きる「共生社会」を実現することにあります。

この法律により私たちには「不当な差別的取り扱い」が禁止され、「障害のある人々への合理的配慮の提供」が求められています。

「不当な差別的取り扱い」の例としては、合理的理由なしに障害者への対応を拒否したり、保護者や介助者なしの入店や入場を拒否したりすることが挙げられます。
 本人を無視して介助者や支援者、付き添い人にのみ話しかけることもこの差別的扱いにあたりますので、医師などは気を付けなければなりません。また、不動産業も障害者向けの物件はないとして対応をしないと、この差別的な取り扱いとみなされる場合があります。
 正当な理由がある場合には、その理由をしっかりと説明し、理解を得ることが求められています。

この法律は差別を禁止するだけではなく、合理的配慮を提供することまで求めています。例えば、障害特性に応じて手話通訳や大きなスクリーンに字幕を映し出す、あるいは画像をカードやタブレットに表示する、段差がある場所にスロープを準備するなどです。

ただ、この場合の合理的配慮というのは負担が重すぎない範囲で対応することであり、何が何でもそのとおりにしなければならないということではありません。

例えば、車いすを押して店内を案内して欲しいと伝えられた場合など、店内が狭く、混雑している場合などでは、それが困難であることを説明し、しかし、負担が重すぎない範囲で別の方法を探すなど、障害者の理解を得るように努める必要があります。

誤解されると困るのですが、この考え方の基本にあるのは、障害者への「思いやり」や「理解」というものではありません。

障碍者への「思いやり」などを根本に据えて考えるとこの法律や「障害者の権利関する条約」などが求める社会を理解することができません。

障害のある人とない人が同じ権利を享受できる社会の実現が究極の目的にあります。
 そのために、障害のある人に対して「特別の配慮」をすることを求めているのではないのです。障害のある人に対してもそれなりに普通の配慮を求めているにすぎません。

この考え方は、私も含めて、いわゆる障害のない人たちには若干分かりにくいのですが、私たちの社会の在り方への理解が必要です。

私たちの社会では、障害のない人たちがその人自身の能力や身体的機能だけで日常生活を送っているかというとそうではありません。
 いわゆる健常者も様々なサービスを受けており、様々なインフラによって支援されて通常の社会生活を送ることができるのです。

例えば、駅ではスピーカーから様々な情報が流されます。映画館やコンサートホールでは、適度な音量で出し物を楽しむことができています。
 これは、そのような拡声機能を使わないと通常の聴力を持った人でも情報を得ることができなかったり、楽しむことができなかったりするからです。

役所で様々な手続きをする際、窓口の職員が手続きについて丁寧に教えてくれます。
 役所の手続きはほとんどすべて法律や条例などでその様式や必要事項が定められていますので、主権者である私たちは本来それらを熟知していなければならないはずなのですが、私たちの多くは行政法規について細部まで熟知しているということはありません。そのため、窓口に職員が配置され、説明してくれるのです。

デパートなどにはエスカレーターが設備されています。このため疲れずにショッピングを楽しむことができます。

ところが、これらは障害の無い人たち向けにその仕組みが作られています。障害のある人々向けの仕組みではありません。

たとえば、駅でのスピーカーを使った案内は、耳が聞こえることが前提となっています。聴力があるにもかかわらず、大きな音量でなければ聞き取れないのでスピーカーが使われているにすぎません。それならば、聴力がない人には視覚に訴える情報提供をするなりの手段をとるというのが普通の対応だろうということです。

行政サービスについても同様です。
 行政法規を読んでいれば手続きについて理解できるはずなのに、わざわざ多額の人件費を使って多くの職員を窓口に配置しているのは、普通の人でもなかなか行政法規を熟知することはできないからです。
 極端に言えば、私たちが不勉強だから多くの公務員の窓口サービスに頼っているのです。
 そうであれば、視覚障害があったり、あるいは知的障害があったりして、法律や規則を読もうと思っても読めない人たちにも、当然それなりのサービスを受ける権利があるはずです。
 私たち健常者は、自分たちが努力すれば行政法規を読んで手続きを理解できるはずなのにそれをせず、多くの職員による行政サービスに頼って様々な手続きを行っています。そこに税金が使われていることを当たり前だと思っています。
 努力してもできない障害者がそれなりに対応されるのは当然なのです。

エスカレーターについても、これは二本の足で立つことができる人を前提として設計されており、車いすの使用が考慮されていません。二本の足があれば階段を上がり降りできるはずなのに、便利さ、快適さを追求するためにエスカレーターが設備されるのであれば、足が不自由な人が車いすでも上り下りすることができる設備をすることは当然なのです。

つまり、「合理的配慮」の背景にあるのは、「思いやり」や「理解」ではなく、「当然の配慮」をせよということなのです。

私はこの専門コラムで度々危機管理におけるプロトコールの重要性を強調しています。
クライシスマネジメントの重要な3本柱の一つに位置付けているくらいです。
 このコラムにおいてプロトコールとは、組織と外部との関係のすべてを指しています。国際儀礼から日常のちょっとした接客要領にいたる組織のあらゆる対外関係に係るマネジメントを指してプロトコールと呼んでいます。

外部との関わりを考える時、この「合理的配慮」の根底にある考え方を誤解すると誤った対応をすることになりかねません。

決して、障害者への「思いやり」や「理解」ではありません。
「当然の対応」をすることが必要なのです。

 

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