専門コラム「指揮官の決断」 No.003 プロトコールが危機管理に重要な理由
プロトコールという言葉はIT関連の技術者には御馴染ですが、日常会話ではあまり使われることがない言葉ではないでしょうか。
元来は外交儀礼や議定書という意味で使われる外交上の専門用語でした。当コラムでは、国際儀礼から日常のちょっとした接客要領にいたる組織のあらゆる対外関係に係るマネジメントを指してプロトコールと呼んでいます。そして、当社が推進するイージスクライシスマネジメントシステムにおいては、このプロトコールが意思決定、リーダーシップとともに極めて重要な位置を占めています。
これがなぜ「危機管理」に重要なのでしょうか。
理由は二つあります。
一つ目は、それが直接危機を回避するのに役立つからです。
その典型的な例が報道対応です。
もともと報道は事故や不祥事には厳しい態度で臨んできます。関係者の不正や怠慢を糾弾してよりよい社会を目指すという使命感に基づく報道だけであれば、それほど恐れる必要はありません。真摯に対応し、事実に反する発表をしなければ問題は生じません。
しかし、マスコミの中には、読者や視聴者を増やしたいばかりにいたずらにセンセーショナルに扱い、事実に大きなバイアスをかけた報道を行うものもあります。いわゆるバッシングです。これらにはしっかりとした対応をしなければなりません。
マスコミへの対応が失敗だった例は数限りなくあります。
JR福知山線の事故の際、あれだけ凄惨な事故が現場で起こっているにもかかわらず、JR西日本が最初に行った記者会見では、ろくに調べもせずに線路上に何らかの障害物が置かれた可能性があるなどと述べ、自社の責任ではなくむしろ被害者であるかのごとき発表を行いました。結局は利益優先主義で人命軽視であった体質が次々に防露されてしまいましたが、これは報道対応の最初の一手を誤った典型的な例といえます。
常連客にすら食べ残しの食材を出していた吉兆の社長と女将の記者会見などはいまだに語り継がれています。
一方で、アルジェリアでおきた人質事件で犠牲者を出した「日揮」は、大変に不幸な事件ではありましたが、社長以下の対応の冷静さ、特に広報担当部長の対応が高く評価され、企業としての信頼を高めています。
報道対応だけではありません。反社会的勢力等に面会を申し込まれた場合など、よほど対応に気を付けないと妙な言いがかりを付けられて大騒ぎになります。最近はあまり見かけないようですが、いわゆる総会屋と言われる者たちへの対応も同様です。
BtoCの企業ではクレーマーと言われる人々への対応も頭の痛いところです。これらはどう対応しても問題を生じさせるつもりで来ていますので、必ず問題が起きるのですが、それでもプロトコールをしっかりとしていれば、相手が社会的に非常識な連中であるということをアピールすることができますが、これができていないとどっちもどっちという評価をされかねません。
日本ではプロトコールに関する関心が高くないのでピンと来ないのですが、国際儀礼には非常に慎重にならなければなりません。
担当役員が相手国の国旗を知らなかったばかりに数百億円の契約をキャンセルされたゼネコンがある一方、大手の下請けの小さな工場が、元受の海外の取引先の役員の見学に際して、相手国の宗教上の習慣を確認して接遇した結果、数年後、下請けとしてではなく、元受としての契約を受注した例もあります。
もう一つの理由は、危機に強い体質になるからです。
どうしてそうなるのでしょうか。
プロトコールは、深く突き詰めていけば限りなく留まることを知らない世界です。たとえば日本が得意な「おもてなし」についても、どこまでやれば終わりという終点はありません。まず通常では人が絶対に気が付かないような細部にまで気を配り、徹底して追求していくことの積み重ねが、他の追従を許さない「おもてなし」につながっているのです。
「おもてなし」にとどまらず、プロトコール全体に同様のことが言えるのですが、つまり、日常のほんの些細な事柄を見逃さず、そこに気を配り、しっかりと対応していくことが習慣となり、さらにはその組織の体質や伝統となっていくことが、危機の芽を見逃さない、危機の原因を作らない、そういう組織風土を生んでいきます。
つまり、様々なことに気を配ることができる、あらゆるものを完璧にあるべき姿にする努力が何気なくできるということが精強な組織を作るうえで重要なことなのです。軍隊が済々とした行動、端正に手入れされた制服、節度ある起居動作、装備品の徹底した手入れなど見た目を非常に重要視するのはこのためでもあります。
しっかりとしたプロトコールができるようになるということは、日常、関心を持っていない組織にとっては簡単なことではありません。何をやっても付け焼刃になり、地に足がついたプロトコールにはなりません。しかし、常日頃、関心を持ち、組織自体のプロトコールに関する感度が上がっている組織にとっては困難なことではありません。いわゆる日常茶飯事になっているからです。
たとえば、西洋流のマナーを全く知らず、相手国の言葉などを理解できなくとも、日本の老舗の旅館が日本流のしっかりとした「おもてなし」をすれば、それは世界中の人々の心を打つ接遇となります。女将も従業員も臆することなく堂々と「おもてなし」をできるはずです。普段それができない接客業者が、付け焼刃のマナーを学んだところで心を打つ「おもてなし」にはならないでしょう。
しかし、そのプロトコールに対する感度を上げること自体は難しいことではありません。
普段から意識してそのようなものの見方をしているか、そのような観点をもって業務にあたっているかどうかの問題です。
そのような習慣、風土を作ろうとしているかどうか、ある意味で、教育の問題に帰結するとも言えます。
指揮官の皆様、これは皆様のちょっとした気付きの問題でもあるのですよ。
(写真:防衛省)
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