専門コラム「指揮官の決断」 No.002 危機管理の要諦
2011年3月11日、神奈川県横須賀市にある海上自衛隊の自衛艦隊司令部庁舎で地震の大きな揺れを感じていた自衛艦隊司令官は、直ちに担当幕僚に震源の位置を確かめさせました。横須賀は震度4の揺れを感じていましたが、震源が神奈川県や東京であればともかく、遠いところであればかなり大きな地震ではないかと考えたからです。
すぐに震源は三陸沖であるという報告があり、自衛艦隊司令官は、震源が海底であることとその規模を考えると東北地方沿岸が大きな津波被害を受けるおそれがあると判断し、直ちに指揮下の全艦艇部隊に対し、「可動全艦は直ちに出航せよ。」と命じました。
地震発生の7分後のことです。まだ東北地方に津波が押し寄せてくる前です。
海上自衛隊の部隊の編制は任務に即応するために独特の態勢となっています。海上自衛隊の部隊は大きく分けて、作戦兵力を統括し、必要に応じて何処にでも展開する自衛艦隊と、地域の沿岸防備などにあたる5つの地方隊からなっています。
水上艦艇、潜水艦、航空機など作戦兵力は自衛艦隊司令官が一元的に指揮監督しており、有事に即応できる態勢を取っています。しかし、災害派遣などでは地元の状況をよく把握している地方総監がその行動を指揮する方が効果的であること、災害派遣を実施中であっても我が国を取り巻く安全保障環境が変化するわけではないため、自衛艦隊司令官は常に海上防衛全体を見渡している必要があることなどから、災害派遣の場合には、自衛艦隊から必要な兵力が災害地域を担当する地方総監の下に派出され、その指揮を受けることになっています。
東北地域を所掌するのは横須賀に司令部をおく横須賀地方総監であるので、本来であれば災害派遣にかかる様々な命令は横須賀地方総監から発出されなければなりません。
しかし、横須賀地方総監がそれらの部隊に対して災害派遣に関する命令を発することができるようになるためには、防衛大臣から海上自衛隊に対して災害派遣の命令が出され、海上幕僚長から防衛大臣指示に基づく災害派遣に関する行動命令が出され、担当する地方総監に指揮権が付与されなければなりません。
したがって、自衛艦隊司令官は、横須賀地方総監からの命令が出るには若干の時間がかかると考え、指揮下の艦艇に対し、早急に出動準備を整え、準備でき次第出航することを命じたのです。与えられた指示は、可能なかぎり速やかに北へ向かえというものでした。とにかく部隊を北へ向かわせる、そしてその間に横須賀地方総監と必要な調整を行い、北へ向かいつつある部隊を横須賀地方総監の指揮下に送り込む。これが自衛艦隊司令官が考えた初動の措置でした。正式な命令なしに部隊を動かすことはシビリアンコントロールに反する違法行為ですが、船を出航させることは自衛艦隊司令官の権限で可能な行動なのです。
もともと3月という時期は、このような行動を起こすには厳しい条件が揃っている時期でした。年度末を控え、年度最後の訓練を終えて帰ってきたばかりの艦艇も多く、新年度に向かって整備が必要な船が多いのです。
最後の大きな訓練を終えて、それまでに溜まっていた代休も処理しなければならず、母港に帰ってきた船の乗員は交替で休暇に入っている者も多く、また、幹部は新年度の教育訓練計画の策定や船の整備のための造船所との調整などに追われている時期です。大きな人事異動もこの時期に行われます。
しかし自衛艦隊司令官から出された命令は、動ける船は直ちに出航せよというものでしたので、とにかく乗員をかき集め、エンジンを始動させて出航しなければなりません。各艦の艦長も、三陸沖で大きな地震が起きたことを知らされており、これが海上自衛隊創設以来の最大の災害派遣になるであろうことを覚悟して準備にあたりました。
各艦は入港後必ず燃料を搭載しますので燃料は持っていましたが、食料については搭載を後日に予定していた船などもあり、規則に定められた最低限しか持っていない船もありました。また休暇をもらって帰省中で船に戻るのに時間を要する乗員もいましたが、各艦は必要最低限の乗員が戻ると、ろくに食料も積まずに次々に出航していきました。行き先や行った先での任務などはわからないまま、目的の海域は後で指示する、食料も現地に届けるからとにかく北へ向かえということなのです。
食料は後刻補給艦に積み込まれ、出航に間に合わなかった乗員や災害派遣資材とともに三陸沖に届けられました。そして発災の翌日、3月12日の未明には多くの艦艇が福島県から青森県の沖合海域に到着し、捜索救難活動を開始しました。
もし、各艦が食料や災害派遣資材を搭載し、乗員が揃うのを待って出航したとすれば現地到着が半日遅れたかもしれません。ということは、活動を始めてもすぐ日没となって捜索ができず、各地に取り残された生存者はさらに一晩みぞれの降る東北の屋外で震えながら救助を待たなければならず、犠牲者がさらに拡大していたおそれもあります。
自衛艦隊司令官のこの行動は、災害の情報を待って決断されたものではありません。それどころか、津波がまだ到達しておらず災害が起きていない時点でなされたものです。
ここに危機管理において極めて重要なポイントがあります。
それは危機管理上の事態においては、指揮官は十分な情報がもたらされるのを待ってはならないということです。
危機管理上の事態においては、情報は極めて断片的に、前後の脈絡なく、時として大きなバイアスがかかってもたらされます。指揮官はそれらの情報から起きている事態を看破し、最初の一手を打たなければなりません。
情報は非常に重要です。戦いにおいては情報が勝敗を決すると言っても過言ではありません。しかし、優れた指揮官は情報を待って決断することはありません。
妙なことを言いますが、情報がなければ意思決定のできない指揮官は情報があっても意思決定をすることができません。情報がないと決断できない指揮官は、情報がもたらされると、さらに情報を欲しがるようになります。事態が明らかになるにつれてもっと知りたいことが出てくるからです。
先に述べたように、危機管理上の事態における情報は前後の脈絡なく断片的に入ってくるのが常ですので、この指揮官はイライラします。そしてより一層詳細な情報を求めます。
情報がだんだん揃って辻褄があってきた頃、その情報はすでに過去のものとなっており、現実はその先の事態に進んでいってしまっています。そして指揮官はさらにイライラして情報を要求します。
実はこのとき、無能な指揮官は溢れる情報で消化不良を起こしているだけなのですが、その事実に気が付かず、自分が判断できないのは情報がないためだと思いこんでいます。
危機管理における指揮官の最も重要なことは、十分な情報を集め、万全の態勢を固めることではありません。即応すること、とにかく最初の一手を打つことです。指揮官が最初の一手を打たない限り、組織は動き出しません。情報をいくら待っても、事態の進展の方が早く、満足な情報は手に入らないことを覚悟しなければならないのです。
危機管理上の事態に際し、「政府は対策本部を設置し、関係閣僚を集め、情報の収集に万全を尽くすよう指示しました。」という報道が流れることがよくありますが、これは即応ではありません。危機管理において重要なことは繰り返し申し上げますが「即応」であり、具体的な最初の一手を速やかに打つことです。
そして、その最初の一手は間違ってはなりません。何があっても最初の一手を誤ってはならないのです。最初の一手を誤ると、そのボタンの掛け違いを修正しなければなりませんが、事態が急速に進展していく危機管理上の事態において、その掛け違いを修正しながら対応していくということは並大抵のことではありません。修正しているうちに後手に回り、さらに切羽詰まった判断を強いられ、その意思決定の質が低下していきます。事態がスパイラルに悪化していくのです。
逆に最初の一手が適切であると、判断に余裕が生まれ、次の一手をさらに適切なものにすることができるだけでなく、様々な細かい配慮をすることができるようになります。次々に打っていく対応がきめ細かく、細部のいろいろなところに配慮されたものになっていくのです。
ではどうすれば危機管理上の事態において、的確な最初の一手を速やかに打てるようになるのか、それがクライシスマネジメントが挑む究極の課題です。
このコラムでは、どうすれば指揮官の皆様が自信をもってクライシスマネジメントに取組んでいけるのかという問題を念頭において様々な角度から綴って参ります。最初の一手を過たずに打つヒントも提供していきます。どうか、いかなる事態にも毅然として対応し、組織とその構成員、その家族を守り抜く指揮官となって頂きたいと願っています。
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