親子経営 繁盛と繁栄の秘策 その強さと真価⑤
地域に根差した身の丈経営
親子経営を含む同族企業の5つ目の強さは地域に根差した経営であること、そして自社の実力を冷静に推し量り身の丈にあった経営をすることです。よく注意をして各地方、地域の企業の動向を見てみるとこのことが分かります。
昔から続く企業の中には時代の流れとともに消えていったものが多くあります。その原因はいろいろと考えられます。なかには業種そのものが必要とされなくなって消えてしまったものや地域の人口が減ったために事業が成り立たなくなったものがあります。
そんななかで営々と悠々と地方、地域で今も健在で経営されている企業が多くあります。それらの企業が何故生き残っているのかについて考えてみますとひとつの共通した経営手法または経営理念といったものに行き当たります。
それが「地域に根差した経営」であり「身の丈にあった経営」です。それは徹底した地域優先、地元大事といった、言ってみればビジネスでは当たり前の商習慣を大事にした結果だと言えます。
なおそのうえで無理なことは決してしない、分不相応なことはしないといった、これもまたそこらのどこにでもいる頑固親父が言いそうなことかもしれませんが、これを徹底して行動規範としてきた結果、営々悠々と生き残ってきたのです。
さてここで私の事業経営者としての失敗についてお話しいたします。以前にもお話ししましたが私がかつて経営していましたのは地方の建材会社でした。島という特殊な閉ざされた経済環境にかつてはありました。
現在では橋が本州と四国に掛かり島が島でなくなった状態です。地域の経済にとっては便利になったことが好悪併存しており全体としては各地方がそうであるように地盤沈下しています。
私が30才で経営を引き継いだ頃はまだ島内で架橋関連の工事、縦貫道の工事などの公共工事が目白押しの状況で島全体が活況を呈していました。しかし、それらの公共工事が行き渡ればいずれは仕事が少なくなるのは明らかでした。
このまま島内だけの需要で会社を経営するのか島外に出て市場を開拓していくのかの分岐点にありました。若い私は当然のごとく島外進出を選択いたしました。自社の経営形態、財務状況など深く自社を分析することなく突き進んでいきました。
当時の世相は公共工事に対する風当たりがだんだん強くなってきており国の予算も公共工事削減へと動き始めたころでした。全体に右下がりの業況のなか無理を押しての業容拡大になっていました。
気が付けば沖縄から北海道まで支店、営業所網を敷いていました。売り上げは厳しい業界環境のなかにもかかわらず右上がりを続け100億を超すまでになっていました。好事魔が多しとよく言ったもので売り上げの上昇とともに不良債権も多くなっていました。
売上も115億をピークに徐々に下がり始めてきました。売り上げが上がるときも下がるときも多額の運転資本が必要となりメイン金融機関に手を引かれ、敢え無く倒産することになりました。
今考えてみますと、私の会社のような建設資材販売商社という形態の企業は実は全国展開のような規模を効かす企業形態ではありませんでした。どれだけ売り上げが増えようが各支店、各営業所の固定コストに変動がなく利益率が良くなる訳でもなく所謂規模の経済が効かない形態でありました。
そのことに気が付いたのはつい最近のことですから後の祭りです。ここで論語から一節、「子日わく、人の過ちや、各々其の党に於てす。過ちを観て斯に仁を知る。」とあります。
私なりの解釈をしますと、「人はその人らしい失敗をするものだ。その失敗をみればその人となりが分かるものだ。」とでも言いましょうか。
私はあの人生の分岐点で島内だけで事業をするという選択はどうしても出来ませんでした。また同じ状況になれば同じ選択をすると思います。若い故の功名心もありましたが性格上前へ前へというのは治りません。
しかし二度目がもしあるのなら、もっと慎重に財務的に足元を固めたうえでもっとゆっくりとしたペースで人材の育成をしながら売上拡大、利益増大を図るでしょう。自分の身の丈を高くしていきながら高さに見合った経営をしたいものだと思います。
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