親子経営 繁盛と繁栄の秘策 息子がしてはならない7つのこと③
何事も他人のせい
後継者である息子が父親の後を継いだ途端、父親への批判をところ構わず誰彼構わず言うことがあります。営業会議や役員会議ではもちろんのこと普段の社員との話のなかでも常に先代社長の悪口を言う後継者がいます。
挙句に社内のみならず取引先にまで先代社長がしてきたことを平気で批判します。業績が芳しくないことから役員や社員の不出来にいたるまですべてが先代社長のせいだと公言して憚りません。
その次にその後継者が言うことは決まっています。現状に問題があるのは父親が育てた役員たちのせいだと言います。そして業績が良くないのは先代社長のもとで甘やかされた社員たちのせいだと言います。
そこで終わればいいのですが、業績不振は客である取引先が悪いのだと言い出す始末です。会社の金回りが悪いのは金融機関が融資を渋るから悪いのだと言って平気な顔をしています。
論語の一節、「子の曰く、君子は諸(これ)を己に求む。小人は諸を人に求む。」と、あります。「君子は何事も責任は自分にあると考える。つまらぬ人は何事も他人に責任があると考える。」となりましょうか。
世の中には実にこのつまらぬ人が多いもので、経営者ばかりでなく我が国の高級官僚といわれる人たちの立ち振る舞いも目に障ります。官僚の国会答弁などまさにこの典型であり、何事も己たちのせいでなく誰かのせいで済ませています。
潔く己の責任を明確にし出処進退を鮮やかにできる官僚など久しくお目に掛かったことがありません。のらりくらりとあやふやな答弁をくり返し責任逃れに終始する姿を国民に見せて恥ずかしくもなんともないのかと訝るばかりです。
もう一つ論語の一節、「子曰く、躬(み)自ら厚くして、薄く人を責むれば、則ち怨に遠ざかる。」と、あります。
私なりに読み解きますと、「我と我が身を深く反省し責任を一身に受け、他人の責任を多く問うことがなければ、世間から恨まれたり恨んだりすることがなくなるものだ。」とでも言えるでしょうか。
以前にも書きましたが、横浜のマンション傾斜問題での旭建材社長のインタビューでの発言にはとても驚かされました。杭打ち工事でのデータの転用使用を認めたことはよかったのですが、その責任をすべて現場責任者ひとりに押し付けたと思える発言はいただけませんでした。
終始社長自らの責任には触れることなく、社内のひとりの人間、そしてベテランチームにすべての責任があると公言して憚らなかったあの社長の発言は世間の多くの人たちから顰蹙を買い、社内からは不信と怨嗟の念があがったに違いありません。
経営者が自らの責任に触れることなく何事もすべて他人の責任とするなど考えられないことです。不祥事はすべて誰かのせいであり、成功事はすべて自分の手柄だとは片腹痛いとしか言えません。
昨今の企業不祥事を見るたび浅ましい思いがします。己の保身が一番の関心事であり企業価値を平気で下げる経営者が多いのに辟易せずにいられません。彼らがこれまで何を学んできたのかと不思議に思うばかりです。