【実例】70億円で停滞していた企業が、4年で圧倒的な成果を出した理由とは?
先日、ある年商100億円規模の企業の専務とお話しする機会がありました。
この企業は、弊社のサービスをご活用いただき、今や圧倒的な成果を上げています。
実は、かつて長い間「年商70億円」で成長が止まっていた時期がありました。
売上は維持していたものの、利益は年々下がり続けていたのです。
専務が全社改革の先頭に立った4年前
その企業で、専務が既存事業の総責任者となったのは、今から4年前。
ちょうど弊社とのお付き合いが始まったタイミングでもあります。
当時、社長は既存事業の前後に広がる新たな事業領域の展開に注力しており、専務に既存事業の改革を一任しました。
専務はそれまで参加したセミナーや読んだ本から得た知識を、片っ端から実践。
「自分なりのやり方で成果を出し、社長を安心させたい」
そう語るように、全力で取り組んでいたのです。
しかし、努力とは裏腹に、なかなか成果が出ませんでした。
「自分の我を張るな!」社長の一喝で変わった意識
そんなある日、社長から呼び出された専務は、一言こう言われました。
「自分の我を張るな!」
この一言が、転機となります。
「自分のやり方」ではなく、「組織にとって最善の方法」——
そう考えた専務は、弊社を訪ねてこられました。
部下が頼もしく育ち、変化が見えてきた
それから4年。
専務の元には5名の部長がつき、組織は大きく様変わりしました。
専務はこう語ります。
「これを続ければ大丈夫、という感覚が大きいです。」
そのうち2名の部長には、私自身も継続的に関わらせていただいています。
組織が安定し、再現性ある成果が出るようになってきました。
当初の壁:手を焼いていた“重鎮”幹部との関係
振り返りの中で、かつて専務が最もやりづらさを感じていた幹部、Kさんの話が出ました。
Kさんは、専務より社歴が長く、組織上は部下とはいえ、技術部門のトップ。
専務は営業畑出身で、Kさんとは何かと考え方の違いがあったそうです。
Kさんの発言は、いつもストレートで、時に厳しいものでした。
実際にあったKさんの発言(一部抜粋)
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「営業の考えがバラバラで困ります。方針を統一してください。」
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「お客様優先は理解しますが、工場にも限界があります。優先順位を明確に。」
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「急に変更になったと言われましたが、1ヶ月前に連絡があったと聞いています。一体どうなってるんですか?」
どれも正論。しかし、それを受け止め、組織として機能させるには、当初は大きなストレスだったと専務は振り返ります。
組織の構造と風土が変わった
現在では、Kさんの元にも頼もしい部長が2名となり、
営業本部長も専務の元で全体をマネジメントしています。
かつて、営業と工場が互いに衝突していた関係は一変しました。
今では「お客様の要望に応える」という共通の目的のもと、協力し合っています。
Kさんの指摘も、「ミスの指摘」ではなく「次を見据えた建設的な提案」へと変わっています。
成果につながった最大の要因:営業部門の変革
既存事業の業績が大きく伸びた背景には、営業部門の変革がありました。
以前は、専務が部長と何度もやり取りしても、現場に反映されないことが多くありました。
それが今では、専務と部長の間で決まったことが、確実に実行されていくようになっています。
3つの既存営業部門は、2年連続で予算達成。
新設された2部門も成長段階に入りました。
部長3名、課長7名がマネジメント技術を習得し、今では係長が部長・課長から学び、実践する文化が根づいています。
社員の行動が“量”も“質”も変わった
営業現場では、営業社員の行動量が一気に増え、精度も格段に向上しています。
かつて成果が出せなかった社員たちが、今では前のめりで取り組むようになりました。
専務が描いていた「理想の組織像」に、着実に近づいているのです。
この現象は、特別なことではありません。
実は、同様の変化は他の企業でも起きています。
ポイントはたった一つ。
「我流を手放す」こと。
そして、「マネジメント技術をひたすら実践すること」。
それだけで、現場が、社員が、目に見えて変わりはじめます。
早く、確実な変化を求める経営者へ
今のやり方に限界を感じている方へ。
「今のやり方」を一旦、脇に置き、
社員が自ら動き出すためのマネジメント技術を、ぜひ実践してみてください。
3ヶ月後には、きっとこう思うはずです。
「あ、なるほど。こういうことだったのか。」
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