やってる感でごまかしていないか
茹でガエルの様に目の前にある危機に気が付かず、気がついたときには挽回に相当な労力を要する、または手遅れになってしまっているという事態は誰しも避けたいものです。
その様な状況に陥ってしまう思考の一つに”やってる感でごまかす”というものがあります。
その仕事に対し自分に責任があるのを認識していますが、周囲から非難を浴びない様、最大限対応している様に見せかけ、アリバイ作りをするのです。
問題を放置したり、先送りしたり、あるいは隠蔽するといったことができなくなり、その仕事を自分の責任でやらざるを得ない状況になれば、腹を括って問題に真正面から対処するしかないのですが、その覚悟を持てない人が存在します。いわゆる、”腰が引ける”、”逃げ腰になる”という状態です。その様なケースが存在するというのではなく、私の経験上、その様な人物は毎回同様な振る舞いをするので、個人の性格によるところが大きいのではないかと考えます。
自分に対処する責任があるということは自覚しているので、やろうとしている姿勢は見せます。しかし覚悟を持てていないので、アクションが中途半端であり、どこか他人任せになってしまうのです。この状況に周囲が早く気がつけばよいですが、”やってる感”に騙されてしまうと気がついたときにはやるべきことがされていなかったということになり、問題はより深刻な状況に変わっているかも知れません。問題を放置していたわけでも先送りしていたわけでもなく、対処していたはずなので、それが実は進んでいなかったということは周囲の期待を裏切るものであり、放置や先送りよりも悪質と云えるでしょう。
なぜ、この様なことになるのでしょう。まず、”責任がある”ということと”責任を果たす”ということの間には、明確なギャップがあることを認識する必要があります。やらないといけないことがわかっているのと、それをやり切る実行力が伴うかは、まったく別のものだということです。そして、自分自身にやり切る実行力がないということを自覚するならともかく、ほとんどの人はそれを自認できるほど客観的でなく強くないので、やってる様に見せてしまうことになります。
いわゆる”世渡りがうまい”と云われる様な人は、この”やってる感”をうまく見せながら、周囲を動かし、あるいは周囲が動いて解決するのを待ち、最終的には自分の成果に見せてしまうという芸当ができます。私は、企業での経験においてこの様な人に出会ったことがありますが、ある意味感心してしまいました。自分自身ではやらなくとも、周囲を巻き込んで結果を出せるのですから、結果がすべての組織としてはそれを評価することになるのです。
上記の特異な例を除けば、基本的に”やってる感”で乗り切ろうとする姿勢は、保身であり決して褒められるものではなく、組織内の害でしかないでしょう。この様な状況や人の存在に早めに気がつき、そこから生じる危機を摘み取る必要があります。
皆さんの組織でも、この”やってる感”に騙されてしまっているということはないでしょうか。そして、その様な人物を気付かずに要職に配置しているということはないでしょうか。
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