なぜ、幹部が成長しない?幹部が成長しないカイシャの盲点
5年以上前のことになります。弊社に相談に見えられた社長のお一人にM社長がいらっしゃいます。相談内容は、S取締役の件でした。S取締役は、最古参の幹部の方でしたが、次期社長候補のお一人でした。しかし、M社長には気になる点があったのです。
M社長からS取締役のご経歴や、これまでの仕事の分野のお話を聞くほどに、S取締役が苦手とする領域が、アキレス健となっていることが分かりました。
幹部社員ならば、絶対に手にしておくべきことが、S取締役のご経歴にも、
仕事上の役割上にも、未経験だったからです。私が社長にS取締役には、この分野について急ぎ研鑚するように指示をするべきとお伝えしました。
すると、M社長は「私から伝えるはどうでしょう・・・S取締役に気づいて欲しいです。」とおっしゃいました。
この話、一見すると、正しいようですが、実は、大きな罠が潜んでいるのです。「気づいて欲しい」は曲者です。幹部が成長しない会社の原因の一つです。
幹部の成長なしに、会社の未来はありません。一昨年ご同業の企業をご支援する際にM社長のことをお調べすると、M社長の会社は、他の企業に買収されてしまいました。
「好きこそ物の上手なれ」という言葉がありますが、その反対は、「嫌いこそ物の下手なれ」です。人間ならば誰しも、嫌いなものから手をつけるということにはなりません。
もちろん、苦手な領域は誰にでもありますし、自然なことでもあります。しかし、不得手のままになっている理由は、これまた誰もが同じで、苦手なことを先延ばしにして、取り組まないからです。経営者や幹部の場合は、苦手だからといって放置してはならない領域があります。
私がお会いしてきた創業社長の中で、企業前から財務が大好きだった方は皆無です。しかし、「資金繰りって好きじゃないから、しーらんぺったんゴーリーラ」と社長が避けるとどうなるのか?
財務がわからず、お金が回なければ、企業は黒字でも潰れます。実際、創業して10年で企業の生存率は、6.3%。20年で。0.39%です。10年で100社中94社は潰れます。20年で1000社中、996社は潰れる。これが厳しい現実です。「やりたい」とか「やりたくない」とか、「好き」とか「嫌い」とか、そんな悠長なことは言っていられない。
社長としては、経営幹部に「いつか自分で気づいて欲しい」という気持ちが湧いてくることはあるでしょう。これまでお会いした経営者の方々の中にも、様々な場面で、同じようなことをおしゃる場面に遭遇してきました。その時に、いつも私は具申します。
「幹部が気づくことが大切なのか?」「幹部がやれるようになることが大切なのか?」どちらですか?と。
幹部として、マネジメントの技術を一日も早く手にして、それに磨きを掛けることは、真っ先に取り組まなければならないことです。
S取締役に対する、「私から伝えるはどうでしょう・・・S取締役に気づいて欲しいです。」というM社長の言葉は、親心からの言葉だったのかもしれません。「やがて社長になったとしたら、全て自己責任で決めなければならないのだから、いまから全て自分で決める訓練をするべきだ」だとしたら、まさに親心。
24時間365日、全責任を背負う苦しさを知っている経営者ならば、同じように感じる場面はあることは想像できます。しかし、これは、熟練者が更に熟練度を上げるためのやり方です。もし、相手が自分と同じ経験をまだ積んでいない人、つまり、まだ熟練してない人、いわゆる修行者の場合、相手を熟練者同様に扱ってはいけません。
相手が修行中の身で、基礎的な素養がついてない場合は、基礎的な技術を兎に角、早く身につけるさせることが、真心。これこそが本来あるべき親心です。相手が修行者なのに、基礎技術が必要か否かを修行者本人に判断に求めるのは悪手です。
この点は、15年以上前に、拙著、「ストレスゼロの仕事術」の中でも記載しました。上司と部下の関係にあって、その差は経験値の差と言い換えることができます。社長と経営幹部の間にあっても当てはまります。
経験値の差は、認識の差をもたらします。そして、どんな場合でも必ずそうなるのですが、経験値が低い人は、その事実に気がつかない。認識の差は、判断の差をもたらします。経験値の低い人は、悪気なく、間違った判断を下してしまうのです。
これを指摘しているのは私が初めてではありません。今から2500年前にギリシャの哲人、ソクラテスが言い当てています。それが「無知の知」です。「無知の知」は人が成長するために、もっとも大切なことの一つであるとされています。
一方で、「無知の知」という言葉が、2500年たった今でも、価値がる言葉であるとされています。未だ、これは人類の素養になっていないということです。をもってして、未だに多くの人がこの「無知の知」にたどり着くことがないことを示しているのです。
経験値の差が歴然としているのに、相手に判断させようとする行為は、ハイハイが出来るようになった赤ちゃんが、2階の階段の踊り場から、転げ落ちるのを止めずに、見過ごして、瀕死の重傷を負わせることに他ならない。
マネジメントの話に戻ります。
「気づいて欲しい」という願いがマネジメントに持ち込まれると、組織の成長は滞る、遅くなる、下手をすると崩壊する。「気づいて欲しい」という願いをマネジメントに持ち込むことは、御法度です。
「幹部が気づくことが大切なのか?」「幹部がやれるようになることが大切なのか?」どちらですか?
これは、手段か目的かどちらが大切かの質問です。答えは明らかです。すでに経営者これをやる組織は、更に注意が必要です。これが文化になってしまっている会社もあります。「気づいて欲しい」が部下指導の際の常套手段となるのです。
そうなると、組織の成長スピードは必ず失われる。社員の成長のため、組織の成長のため、経営者が持つべきは、刹那的な親心ではありません。
社員を指導する場面で「気づいて欲しい」が発動されると、無意味な時間が流れるのです。会社の外では、熾烈な競争が繰り広げられているのに、「気づいて欲しい」という目的とずれたことが美徳としてまかり通ってしまう。恐ろしいことです。
この状況、もう少しわかりやすくお伝えしましょう。間もなくパリオリンピックが開催されます。例えば、今、ここに、水泳のオリンピック出場経験をした人がいるとします。そして、その横に、オリンピックの予選会に触発されて水泳を始めたばかりの小学4年生の子がいるとします。
元オリンピックの選手が小学4年生の子の泳ぎを見て、バタ足を25mやることを提案しました。足のケリが弱く、うまく推進力を生み出せてなかったからです。
この時、小学校4年生の子が、元オリンピックのこの提案を受け入れば、足のケリは少し上達します。バタ足が基礎技術であることは、当然です。
一方、小学校4年生が、元オリンピック選手の提案を断り、挙げ句「私はバタ足よりも、手の掻き方をもっと練習するべきだと思う。」と反論したとしましょう。この小学校4年生は、折角の成長機会を逸することになります。
今のケースでは、オリンピックの出場選手は、イベントであった人なので、関係が判然としませんが、いずれにしても、相手の成長をその場で削ぐことが起こってしまったのです。
相手が判断できないことを相手に判断させてはならないのです。
これと同じことが、「気づいて欲しい」がまかり通る組織には頻繁に起きています。目的と手段が入れ替わり、無駄な時間が生まれてしまいます。
全ての仕事には期限があります。競争の激しい現代、一分一秒でも早く、お客様の期待に応えることに最善を尽くさないとしたら、お客様から見放され、会社の業績は右肩下がりとなります。
相手が自分と同等の熟練者ならば、話は違います。しかし、相手が修行中の身ならば、委ねてはならないのです。
「相手に気づいて欲しい」を「相手が実現できるようになり、その後は、いろいろと気づけるようになる」を実現する方法こそが、マネジメント技術です。
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