優秀な人と働ける喜び、社長としてそれを得る
優秀な人は、「向上心」を持っています。
向上心の無い優秀さなど存在しません。頭がいくら良くても向上心がなければ、優秀ではないのです。
優秀な人は、その向上心によって、目の前の仕事をより良くしようと考えます。
また、自分を成長させようとします。
彼らは、それを当然のこととして生きています。
空気を吸うように、「もっと上手く」「もっと効率よく」を考えています。
そのスイッチを自分の意志で、入れたり切ったりすることはできません。定めとして、ずーと考え続けてしまう生き物なのです。
彼らの生きる基準は、『向上』にあります。
自分の環境を向上する、自分自身を向上させる、そして、対象を向上させることに貢献する。これこそが、彼らの人生の動機なのです。
そんな彼らによって、この社会の進歩は支えられています。
衣食住、芸術、スポーツ、ビジネス、教育、何かしらの技術。
すべての分野において、彼らの『向上心』から新しい何かが生み出されています。
我々の会社も、例外ではありません。
向上心のある彼らによって成長発展することになります。
マーケティングやシステムなど、その新しい何かは社内に落ちていません。また、自然発生することもありません。社内の誰かが勉強する、誰かが必死に創造することでしか、その変化は起きないのです。それらが彼らなのです。
我々は、優秀な人、向上心のある人を何としても獲得しなければなりません。
向上心のある社員が一人でも多くいれば、それだけスピードある変化が可能になります。課題を挙げてくれる社員、アイディアを述べてくれる社員、自分から動いてくれる社員、彼らこそが会社の原動力であり、成長発展の要なのです。
実は、向上心のある人は、世の中には思っている以上に多くいます。
しかし、その向上心の対象が、「仕事」になる人は多くはありません。
世の少なくない人は、その向上心を、仕事でなく、自分の趣味など異なるところに向けます。
ゲームについては調べるのに、仕事で出た知らない単語については自ら調べません。
料理の本は自分で買うが、営業の本を自分で買うことはありません。
キャンプの道具は自分で作るが、職場で業務改善のアイディアを出すことはないのです。
個人の人生において、ここに良い悪いはありません。
それを向ける先や自分の人生で何を重要とするかの選択は、どんな人にも平等に与えられた権利です。また、その会社や上司という環境に、そうなれないだけの問題があるケースも少なくはないのです。
そして、その圧倒的に少ない「向上心を持ち、かつ、自分の仕事をその対象に選んだ人」が、自社を選んでくれる確率は更に低いのです。
会社として彼らのその強い欲求に答えられるかが問われているのです。
我々は、次の二つの視点を持って会社をつくる必要があります。
その一.優秀な人に選ばれる会社になること
彼らの会社選びの基準は、「その会社で自分が成長できるかどうか」です。
言い換えると『変化できるかどうか』になります。
彼らに「自分はこの会社に入れば成長できそうだ」と思わせなければなりません。
その誘因は、特色のある事業であったり、職場の雰囲気だったり、そして、その見せ方であったりします。
優秀な人に選ばれる会社になると、採れる人材のレベルが格段に上がることになります。そして、その中に将来の幹部候補となる人材が混じるのです。
逆に、「魅力的でない会社(またはそう見えない会社)」は、多くの問題を抱えることになります。優秀な人が来ない代わりに、ダメな人が集まってくるのです。
ダメな人の会社選びの基準は、「自分でも通用するかどうか」です。
そこには「自分の成長」はありません。「自分の今の能力や過去の経験でも、この会社ならなんとかなりそうだ」と見られ選ばれることになります。
そんな人ばかりでは、やはり会社が良くなることはありません。
彼らは「変化」が嫌なのです。特に自分が変わることが嫌なのです。そこに「前向きさ」や「給与以上の貢献」という考えはありません。その替わりにあるのは「不平不満」や「他者依存」の心であり、職場はその溜り場になります。
その状態を放置すれば、優秀な人は会社を去る選択をします。彼の基準は「成長・変化」であり、それはここでは得られないと判断するのです。
また、不思議な現象が起きます。その当事者であるダメな社員も辞めていくのです。彼らは、晴れることがない不満をもっており、それをぶちまけ周囲に悪い影響を残し会社を去っていきます。
そして、更に「並みの社員」も辞めていくことになります。
真面目にこなす彼らに、顧客の指名や上司からの依頼が集中することになるのです。そこに辞めた人の分の仕事が引き継がれることになります。そうして彼らも潰れていくのです。
その結果、採用し、教え育った頃に辞めていく、というサイクルが会社に出来上がるのです。
その二.優秀な人を自社にとどめる制度
優秀な彼らが、入社後すぐに会社を辞めることは殆どありません。
「会社選びを間違えた」という想いが頭をよぎったとしても、そこでも彼らは優秀さを発揮します。「自分の選択」に責任を持とうとするのです。また、「こんな環境でこそ成長できる」とその環境を自分のモチベーションに変えてしまうのです。そして、実際に頑張り成果を出していきます。
彼らに訓練プログラムの存在の有無は、大きな影響を与えません。
有ればそれに越したことはありませんが、心構えも頭も良い彼らは、すぐに業務を覚えてしまいます。そして、数カ月もすれば頭角を現します。
(訓練プログラムは、そもそも力のない者のためにあります。それは、並みの社員の退職防止と早期戦力化に大きな効果を発揮します。そして、そぐわない人を浮き彫りにする首切り装置の役目を果たします。)
そんな優秀な彼らも、3年で辞めることを決意します。
社会人としてだいたいのことが解ったこと、自分の決断に対する責任を果たしたこと、そして、採用してくれた会社に対しての恩も十分に返されたこと。そう思えるのが3年という期間です。
そして、それ以上に「この会社ではこれ以上成長できない」という判断をした結果なのです。
彼らの基準はここでも変わっていません。
「自分の成長」であり、「変化」なのです。向上心は枯れることもありません。
このタイミングで会社は何かの施策を取る必要があります。
ジョブローテーションで職種を変えることもよいでしょう。役職に任命し部下のマネジメントをさせるのもよいでしょう。または、外部と共同して行う何かのプロジェクトのメンバーにするのもよいでしょう。
彼らが成長できる、変化できる環境に置くことが重要なのです。
このタイミングです。3年という「慣れが出てくる」時期にこの施策を行うのです。
これが、「優秀な人を自社にとどめる制度」なのです。
間違っても、同じ状況に置いてはいけません。
「今年も同じ一年が始まった」と思わせてはいけないのです。
入社一年目は仕事を覚えるのに必死でした、2年目は自分が活躍することができました。多くの業務改善もしました。そして、3年目、随分慣れてきました。苦労もなくこなすことができます。
その状況は、「学ぶことが減っている状態」であり、「自分の成長が止まっていること」を意味するのです。
彼らは、その状態に焦りを持つようになります。「自分の人生はこれでいいのか」と自問自答するようになるのです。暇な状況(業務をこなせる)が更にその焦りに拍車を掛けます。
(優秀な人の20代は、忙しいと充実し、暇になると色々考えてしまい焦るという心理の繰り返しなのです。)
彼らは慣れ切っていないだろうか、彼らは暇になっていないだろうか、その視点で、彼らとその状況を観てください。
そのために優秀な人を自社に留める制度をつくるのです。
経営者として、優秀な人と一緒に働けることは幸せです。
彼らは、本気で仕事をしてくれます。必要であれば忌憚なく意見を言ってくれます。
そして、気前よく給与以上の働きをしてくれます。
そんな人を集められる会社にしましょう。
そんな人が居続けられる会社にしましょう。
そのためにも、成長を続ける会社を作るのです。
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