「ペーパーレス推進」という名の同調圧力の功罪
企業のデジタル化の入り口の多くが「ペーパーレス」。このキーワードはここ数十年も言われ続けていることなので、もはや耳にタコが出来ている方も多いかと思います。しかし今でも何かに付けて「当社はペーパーレスができていないから云々」とか「ペーパーレスが進めばもっと効率化するのに云々」といった会話をよく耳にします。
確かに、紙を使わなくなればそれだけ環境に優しい働き方になりますし、全部デジタルで管理できるようになれば、いちいち紙を保管しなくともよい、という表面的な利便性は高まると思います。ところが、プリンターやコピー機を排除してしまったオフィスで人知れず進行している不都合なことがあります。それは、「思考停止」もしくは「思考回路のスローダウン」です。
リモートワークがここ数年急速に普及したこともあり、それにつれてペーパーレス化も急激に進みました。なんでもかんでもファイルやデータで保存し、それを社員同士で頻繁に・瞬時にやりとりできる。一見すると社内コミュニケーションが著しくスピーディになった様に見えます。しかもワンクリックで必要な人全てに情報が共有されるので、「資料の配布」という言葉が減り「情報の共有」という新たなキーワードが会社の中で増えていきました。この「共有」や「瞬時」という側面では、デジタル化の恩恵は素晴らしいものと言えます。一昔まえの紙の状態では、社外にいる人・出張中の人への資料配布はひと手間かかりましたし、誰かが紙とデジタルの間の橋渡しをしなければならないので、そこがボトルネックや負担になってしまっていました。しかし、それも今や昔です。
ところが、ペーパーレスが便利なことばかりではないことに気がついている人は多くありません。紙という表示媒体は人間の思考回路にとってかなり大きな影響力を持ったものであることが軽視されていると思うのです。例えば書籍を考えてみましょう。電子書籍が出てから急速に紙の書籍は減ってきてはいます。しかし、減りこそすれなくなりそうにはありません。参考書など勉強に使う書籍であればなおさらです。この原因は、「紙の書籍であれば付箋を貼れる、アンダーラインを引ける、書き込みもできる」という紙ならではの特性が人間の思考回路にプラスに働いているからとしか言えません。皆さんも、様々なデータや情報を整理しようとするとき、デスクの上にそれらの紙資料を置いて、付箋を貼りながら、メモを記入しながらまとめることが多いと思います。現在のデジタルな表示媒体では、画面のサイズが限られていること、ひと手間かけないとメモや付箋を追加できないこと、などの原因で紙の真似はできません。
更に、多人数で問題や課題解決に取り組むときにも紙媒体は有効に真価を発揮します。数名でなにかを検討している時、おそらく車座になって色々な資料を共有しながら議論することが多いと思います。その最たるものが「QC手法」です。
製造業の方には釈迦に説法なので、ここで詳しく述べるつもりはありませんが、特性要因図や親和図など、様々なQC手法を使ってグループディスカッションする時、デジタル媒体を使った進め方はおそらく誰もできないと思います。いえ、たしかにデジタルのデータを全員のPCで共有しながらディスカッションを進められる便利なソフトウェアは販売されています。私も使ったことがありますが、2名ぐらいでディスカッションする場合はなんとか使えると思います。しかし、それ以上の人数になってくると途端に操作が難しくなります。何しろ「手が見えないので、誰がその情報を動かそうとしているのかわからない」からです。更に、ディスカッションに使う情報が多くなればなるほどソフトウェアでの管理が難しくなります。その結果、考えることをやめてしまう人も出てきますし、議論が全く白熱せず、表面的な検討会で終わってしまうことが多く発生してしまいます。
しかしこれは、紙を使ったものの場合はガラッと変わります。大量の資料をデスクの上に乱雑に投げ出し、数名で検討しようとすると、「これじゃなんだかわからないよね」という暗黙の合言葉のうちに整理整頓し始めるのが人間です。中には議論下手でも整理は上手な人がいたりしてどんどん片付けてくれます。その整理の過程でその場にいる人達は「どのような情報がどのあたりにあるのか」をざっくりと無意識に把握します。そして、その整理を更に深化させて問題や課題をどう捉えるのか考え始めることができます。それもかなり自然に、です。このような場面を皆さんも経験したことがあるのではないでしょうか?
ここまで考えると、人間の思考パターンは紙(その昔はパピルスや粘土板、日本では木簡でしょうか)などの物理的に触れる媒体の存在を前提に、脳に刷り込まれてきたのではないか?という考えに及びます。
そこへ、「会社の方針だから」という理由がついてペーパーレスが強制されたり、「紙を使うのは古臭い」とばかりにペーパーレスの同調圧力が強くなってしまったらどうなるのか、自明の理ですね。
このように「どんな場面でもペーパーレス!」という何やら宗教の様な普及のさせかたは、組織の考える力や考えるスピードを阻害してしまうことは、ほぼ間違い無いと考えています。
無駄な伝票類や、大量のカタログといった、特に人間の思考パターンに影響しない紙はペーパーレス化して効率化してゆくべきですし、それが世の中の流れだと思います。しかし私の経験上、「検討作業を伴う知的アクションにまで、無理にペーパーレスを強制すると人の能力を削いでしまう」ことはおそらく真です。社長の皆さんは、これも勘案した上で無理なペーパーレスが社内で横行しないように注意するべきだと思います。
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