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父から子に伝えたいビジネスと人生の教え

SPECIAL

親子経営コンサルタント

ビジネス・イノベーション・サービス株式会社

代表取締役 

オーナー社長と後継者のための、「親子経営」を指導するコンサルタント。みずから100億円企業を築くも、同族企業ならではの難しさや舵取りの大変さで苦しんだ実体験を指導。親から子へ失敗しない経営継承の極意として「親子経営」を伝授する。

3年前にマネジメント社から出版した私の本がある。『幸せは不幸な出来事を装ってやってくる』というタイトルで出させてもらった。そのサブタイトルが「父から子に伝えたいビジネスと人生の教え」というものだ。当時私たち夫婦が上京し下町で暮らし始めて10年が経った頃になる。

長年経営者として生きてきた私が子供たちにどうしても伝えておきたい話がある。そんな想いで綴らせてもらった本だ。長年経営してきた会社を失くし、すべての資産を失った私が子どもたち3人に遺せる唯一のもの。それは私の失敗多き経営者としての人生をありのまま彼らに伝えておくことだろう。そう思った。

昨夜、不動産エージェントをしている次女と話していた。「お父さんにやっぱりいろいろ教えてもらおうかな」と娘が言う。「そんなこと言うてもお父さんが言うこと素直に聞けらんやろ」「そうやねん。でもお父さん大丈夫や。お父さんがいつ死んでも大丈夫やわ私。お父さんが書いた本があるからもういつ死んでもええで」と娘が宣う。

娘にそう言われると嬉しいような悲しいような複雑な気分だ。それでも実際のところこの本はそれぞれがビジネスパースンである3人の子どもたちへの遺言のつもりで心を込めて書いたので次女にそう言われて本望だといえる。それにしても「もういつ死んでもええで」はこの歳になると「しゃれにならんで」と思ってしまう。

次女とそんな話をした後、久しぶりに本を開いてみた。「百億円企業を倒産させた私は、まさに敗軍の将である。私に残ったのは、得難い教訓であり、その後も親交してくれる友人や取引先の方々、そして何よりも家族の絆である。倒産は不幸な出来事だが、十年後の今、私は人生で最も幸せな時期を過ごしている」表紙裏にそう書かれている。

そう書いてから3年が経つ。今はそう書いた3年前よりもさらに人生で最も幸せな時期を過ごしていると思っている。あれからすぐに長女に念願の孫娘が誕生した。男ばかりの孫のなかに可愛い孫娘が産まれたのだからこんな嬉しいことはない。今年にはシカゴに住む長男に三男坊ができ、総勢7人の孫に恵まれている。

長女は私の近くに住み看護師をしながら次女の不動産エージェントのサポートをしている。長男は現在シカゴ郊外に住み自然エネルギー開発会社に勤めながら自分で物流会社を副業として経営している。それぞれがビジネスパースンとして生きていく中で私の本が少しでも彼らの役に立つことがあるならこれほど嬉しいことはない。

本の中で私は次の五つのことを伝えたかった。経営者に限らず人の上に立つすべてのリーダーの在り方とは、誰もが一番悩み苦しむ人間関係の在り方とは、経営者として知っておくべき経営の要諦とは、経営において最も大切で大事なお金の話、そして最後に経営者でなくひとりの男として生きてきた人生の話、以上五つのテーマで綴っている。

リーダーの話をしておこう。周りから好かれるリーダーは自ら率先して行動している。メンバーへの思いやりに欠けるリーダーが率いるチームは活気がない。リーダーが最も恐れるべきことはメンバーからの信頼が失われること。リーダーがバカでありながらチームが勝手に上手く運営されることはない。リーダーはメンバーがいないときこそ見られている。

人間関係の話をしておこう。他者との関係で悩む以前に自分の気持ちを偽らず素直であれ。誰とでも仲良くするなど所詮無理なこと。人間関係がという前にまず自分の感情を整える。相手を正しく評価することができれば接し方を誤らない。相手の気持ちを考えることができれば人間関係で悩まない。互いの信頼、譲歩がなければ身内ほど関係性が悪くなる。

経営者の話をしておこう。経営者には誰もがなれるが経営し続けることは難しい。経営者が使命を軽視し放棄することは自滅に等しい。経営の要諦は本質を見極め、何を先に何を後にするかに尽きる。仁徳による経営とルールを優先した経営がある。意外にも経営者は人事が苦手である。事業の経年劣化を見直せるのは経営者だけだ。

お金の話をしておこう。経営に慣れると利益を上げるという当たり前のことを忘れる。会社は手元資金の多寡が生死を分かつ。借入金は利益から返済するということを忘れる。事業の見切りどき、会社のやめどきを見逃す。事業資金がなくても商いはできる。黒字倒産では意味がない。

人生の話をしておこう。私はたくさんの人のおかげで生きている。人は真っ当に生きていたなら何も問題はない。すべてを失くした後に残るものがある。私は妻のおかげで生きている。人生何が幸いするかわからない。耐え難い災難や大きな挫折は真摯に向き合うことで活路が開ける。

以上が私の子どもたちへの伝言である。なかでも子どもたちに伝えておきたかったのは人生の話だ。人は誰でも失敗や挫折を経験する。なかには私のような大きな挫折を経験する人もいる。私の場合は幸運にもたくさんの友人や知人が手を差し伸べてくれた。そして何よりも妻と子どもたちがそばで支えてくれた。

私と妻が東京で暮らし始めることを知った次女がまず勤め先のニューヨークから帰ってきてくれた。彼女が東京で外資に勤め始めてくれたおかげで私たち夫婦は今住む家を借りることができた。なにしろ自己破産をしてまだ半年の私が私の名前で家を借りることは難しいことだった。

しばらくして同じようにニューヨークから長女が帰ってきてくれることになった。長女はアメリカで看護師の資格を取ろうとしていたが諦め帰ってきてくれた。私たちの家の近くの大きな病院で看護師として働き始めた。その後まもなく長女次女とも伴侶を得て結婚し、私たち夫婦が住む家の近くのマンションで暮らすことになる。

13年前、傷心の私と妻二人で上京。その後次女と長女が合流。それぞれが伴侶を得、それぞれ子どもを二人もうける。私と妻二人だけのつもりが今では10人もいる。そういえば2年前から妻の母が上京してきている。義母を含めなんと11人の大家族が東京台東の下町で暮らしている。

あるとき誰かが「なにもそんなにみんな集まってこなくてもいいのに」と言っていた。今でこそそれぞれに暮らせるだけのお金を得ることができている。13年前のあのころは私は勿論、娘たちもお金など持っていなかった。家族が肩を寄せ合ってみんなでなんとか生きていこう。家族で支え合っていけば何とかなるだろう。そんな想いで生きていた。

毎朝近くの小学校に通う次女の子供が二人、私の家の前を歩いて登校している。しばらくすると近くの幼稚園に通う長女の子供が二人「じじばば、おはよう」と大きな声を出しながら自転車に乗せられていく。一日がそうして始まり、午後には孫たちみんなが私の家に帰ってくる。騒がしく賑やかな日々が過ぎていく。

たくさんの家族に囲まれ日々これ以上の幸せは私にはない。娘たち二人は「お父さんが会社を潰してくれたおかげで今のこの幸せな生活があるから感謝だね」とよく言っている。そう言われると苦笑いを浮かべるしかないけれど、私もそう思っているから仕方ない。「幸せは不幸な出来事を装ってやってくる」確かにそう思っている。

 

 

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