ハラスメントと指導の境目、そして、これから考えたいこと
「村木さん、ハラスメントと指導の境目ってグレーですよね」と、旧来の知り合いから尋ねられました。なんでもこの方の娘さんが結構厳しい指導をする職場におられるらしく、「それ、ハラスメントじゃない?」というレベルの言葉を浴びせかけられているとか。
以前にも書きましたが、ハラスメント防止法なる法律ができて以来、部下をちょっときつめに指導しようものなら「ハラスメント!」と逆に訴えられてしまうという次第で、実にやりにくい環境になっています。そういう話題をだすと、「そうそう」と頷く社長が相当おられますので、それはそれで一つの共通課題になっているとも言えそうです。
ハラスメントというのは相手がどう感じるかが非常に大きな問題です。「そこはそうじゃなくて、こうやって」という指導の言葉も、相手にとって「人格攻撃」とか「私を否定した」みたいな話になってしまうと「ハラスメント」になってしまうわけで、本当に厄介です。
昔ながらの親密さの表現として「おまえ、ばかじゃないか(笑)」とか「こんなこともできないのかー(笑)」みたいな風に言ってみても、受け手によっては、「馬鹿にしてる」とか「傷ついた」と感じます。れっきとしたハラスメントです。まぁ、そもそもが「ばかじゃないか」という言葉で親密さを表していたということ自体が問題と言えなくもありません。
ちなみにセクハラというのは男性から女性に向けてのものだと思っている方も多いですが、女性から男性に向けてのものもあります。特に、コンプレックス系に近い容姿にかかわる発言には要注意です。着ている服をほめてもハラスメントになるという話も聞いたことがあります。こうなると、自分に向けられる発言はすべて攻撃と思っている人が増えているとしか思えません。もしかしたら、それは、昨今の人たちの自己重要感の低さと表裏の関係にあるのかもしれません。
ともあれ、指導とハラスメントの境目が限りなく曖昧になるなかで職場における指導というものがやりにくくなっている。結果として若い人たちは指導されて成長するという機会を失い、生ぬるい職場に嫌気を指して転職をするというサイクルまで生まれています。まさに社会問題です。
ところで、指導がない職場は生ぬるいのでしょうか。やったことのないことをやるときは誰かからやり方を教えてもらい、間違ったら指摘してもらって正していくのが手っ取り早い習得の仕方です。職場であるからには、何らかのルーティンワークがあって、社員の立場ではそれに習熟していく必要があります。指導とハラスメントの境界があいまいになったからと言って、ルーティンワークに習熟する必要がなくなったわけではありません。
会社の中でやり方や技能を習得していくのに、ハラスメントすれすれの指導という方法ではなく、もっと新しい方法が必要な段階に入っているということなのかもしれません。
コロナ禍を経て、いろいろな常識が通用しない時代に突入しています。テクノロジーはどんどん進化し、旧来の考え方では常識だったものがどんどん突き破られて新しいものに置き換えられています。昔ながらのやり方に固執して、それがなくなったから、本来やるべきことができないと嘆くのではなく、同じ目的を達成するために何か別の方法でできないかと考える段階にきているとも言えそうです。
会社の変革は構成メンバーである社員一人一人のマインドセットの変化から始まります。気づいた会社はもう始めています。貴社はいかがですか?
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