『横丁』考
『横丁』とは
横丁とは、表通りから横へ入った町筋のことで「横町」とも書きます。特定のその通りを表す場合と、細い通りや路地で構成された一体を「横丁」と呼ぶ場合もあるそうです。元々の成り立ちは、日用品などを売っている商店街だったところもありますが、現代では都市化も進んでほぼ飲み屋ばかりの構成になっています。
子供の頃の大阪には2種類の「横丁」がありました。生活圏に両方あったのです。ひとつは私鉄駅のガード下などに新しく設けられた「飲み屋街」の名称としての横丁、もう一つは終戦後からあるようなバラック感のある「本物」の横丁です。
「本物」のほうの横丁は、昼間っからアルコールとおしっこの匂いのするような明らかに「ヤバい」空間でした。昼間っから目のすわったおっちゃん達がいて、子供ながらに無事に通り抜けられるのか?と感じる空気を放っていました。元はリヤカーや屋台から発展した極小のお店ばかりで、トイレなどは無いからです。ただならぬ雰囲気に、通過の折には助走をつけて全速力で自転車を漕いだものです。
自分でもお酒を飲むようになって色々な所に出かけるようになると「横丁」が、あちこち残されていることに気が付きます。そう「本物」のほうです。絶対地価の高いはずの東京都内の駅前にあるのです。とっくに再開発されて高層ビルになっている場所もあるのに「全速力で通り抜けないといけない」あの雰囲気を残す通りも現存しているのです。
話を聞いていると、どうやら権利上細かく所有者が分かれてしまった場所、すなわち当時の店主が自己所有できてしまった場所が結果として残されているようです。戦後のどさくさの時代に、売上金から少しづつ毎日払って僅か3坪とかのスペースを自分の土地にしていったようなお店です。地権者が多すぎて再開発に対しての話がまとまらないのです。地上げ屋さんもギブアップするくらいの難所だけが残された現存する「横丁」だったりする訳です。
↑新宿界隈のやきとり屋さん(安いです!)
↑入ると大勢の大男が小さくなって飲んでいます
↑道からも見えている猛烈な煙幕が客をいざなうのです
『横丁』がいざなう居心地
子供の頃の、あの「言いようもない恐ろしさ」もいつも間にか薄れてしまい、自分でもそういう場所でお酒を飲むようになったは福岡県に出張するようになってからでした。その日の仕事が終わって、ひとりで食事をするのに常宿から何となくふらふらと出かけて行くのです。正真正銘「おっさん」になった気がしました。
その頃『深夜食堂』や『孤独のグルメ』といった食べる系ドラマが流行っていました。そういうのを見ていて「ひとりでそういうお店に入るのも面白そうだ」と思ったところに、ひとりでその日の空腹を満たす場所を探す機会が多くなったという訳です。これらのドラマは何れも原作は漫画であり、それぞれ小林薫、松重豊といった俳優の個性がどハマりしました。漫画原作実写化の成功例と言えます。
そういう昔からありそうなお店に「一見さん」として入るのには、ちょっとした「選球眼」と「勇気」が必要です。外からガラス越しに見えると選びやすいのですが、経験的には外から見えないところに「いい店」が多いように思います。初めての土地で、小さな店がうんとあるような横丁でうろうろしていると、お腹が空いているのに30分ぐらいはすぐに経ってしまいます。そういう点でも屋台は分かりやすくていいと思います。
「横丁」にある古い店の魅力は何なのでしょう?
意外にも若い人たちは「コミュニケーション」だったりするようです。最近では若い女性が結構いたりします。「オヤジ化」というと失礼かもしれませんが、仕事帰りに引っ掛けて帰る「常連さん」も多いのです。客共通の魅力としては「安い」「うまい」「居心地がいい」ということに尽きます。店主や他の客との「コミュニケーション」も「居心地」のうちです。最近で言う「推し」みたいな感覚です。ある意味店主はアイドルなのです。
屋台もそうですが、横丁の古い店は超絶せまい店が多いものです。我々建築系の人間の基準寸法を遥かに下回ったサイズスペックが乱立しています。体を最小限に縮めないと座れなかったりするし、他の客との距離も近過ぎる。なのに、居心地がいい。それは探求する価値があるテーマです。この業態は3密回避どころではないのですが、コロナ以降も客足は健在のようです。
↑博多で通った屋台のメニュー(配色も見やすく機能的です)
↑こういう料理がガンガンできるのも屋外ならではです
↑常連さんに混じって柱に名刺を貼ってもらっていました(面白い習慣です)
↑行きつけの屋台のおばちゃん姉妹
住まいは豊かになったのか?
永く多くの客から支持され続けたものには、そこにしか無い『秘伝』があるのです。味にも居心地にも確かにそういうものがある。若い女子まで来ているのだから、間違いないと思えるのです。同じように人が食事したり過ごす場としての現代の住宅にそういったものが感じられなくなったのは、なぜか?そういったところが、これからの住宅関連事業発展の肝になる気がしてなりません。
日本の建築物はどんどん防災基準が上がって、丈夫で地震にも強くなりました。いっぽうで、全てが計算され尽くした結果、没個性的で面白みに欠けるものばかりにとって代わっています。古いものには欠陥も多く全てがいいわけではありませんが、スペースがない、予算がない、それほど時間もない中で施されてきた創意工夫があります。その集積であるところに得も言われぬ魅力が宿っているのです。
その環境は利用者にとっての「必然」の積み重ねであり、まさに「実利」の世界なのです。他人がつくったモノサシなどは物ともしないし、上手い下手でもないところが明快ではっきりしています。古い建造物を多く残す、海外における都市の魅力とも通じるところがあるようです。そこには、我々住宅事業に関わる者が学びとるものが沢山あります。この世から消失してしまう前に、ぜひ味わっておきたいものです。
社長の会社のスタッフには横丁好きはいますか?お酒好きでなくても、そこに身を置いて支持され続ける「魅力」を探ってみる価値はあると思います。何なら今度ご一緒しましょうか?
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