【感性を磨く】良いものはより高く売る
良い物を安くして大量に売ろうとしていませんか? それは二流以下の企業がやることであって、真の一流になろうとしている企業の行いとは言えません。
こんにちは、茶人・小早川宗護です。私は茶道裏千家の師範として30名の直弟子を指導しつつ、最もハイレベルな茶会、茶事をビジネスとして展開しております。
このところ私の茶人としての鋭敏な感覚を頼りにしてくださり、新製品のプロデュースに関わらせていただく機会がよくあります(特に食品が多い)。私がプロデュースするのは基本的に高級商品ではなく、超高級商品ばかり。ですので食品のみならず、色々な種類の職人さんに出会います。時にはそんな職人さんからの依頼も引き受けます。
そもそも職人さんは自分の腕に自信があるから職人の立場を貫いていると言うのに、なぜ私に依頼を下さるのでしょう。腕に自信が無くなったからではありません。どうすれば新しい世界を切り開けるか、と言う部分を暗中模索しておられるのです。ですからこの場合、私の仕事は彼らの腕を理解し、新しい物づくりをプロデュースすること。
そんなとき私が常に大切にしている考え方は、彼らの思想や伝統の保持に努めること。それが無くては、もしくは彼らの思想が私の力で更なる深みに達しなくては、彼らは新しい発想を受け入れる土壌を持ち得ないと言って過言ではありません。
さて、基本的に本当に良い物を作ろうと思えば、例外なくとんでもない手間暇と極めて質の高い原材料が必要となります。言い換えるなら、一家庭向けに本当に良い物は存在しえません。よく色々な経営者が「良い物を安く売る」と言いますが、本当に良い物と言うのは高いのが当然。安く売ることが出来るのは「良い物」でななく「半端物」と言うことになります。
職人仕事をする人々に「半端物を作れ」といったことを言うと、彼らは当然のごとく怒り出すでしょう。ですので私が彼らに常々言うことは、「まだ甘いですね」と言う容赦ない一言。私は彼らに一切の妥協・手抜きを許さない主義なのです。
どれぐらい手抜きを許さないかと言うと、基本的に私は「電気」「ガス」「水道」の使用を禁止することが多いのです。要は150年以上前、江戸時代以前の物づくりに戻れと彼らに言うのです。何もかもを200%手作業に戻すことで、どこまでも不便な状態に彼らを追込むことで、新しい創造のきっかけを見出してもらうのです。
そこまで面倒な事をすると、当然のことながら手間暇は今までの倍以上になります。労働工数などの経営面から考えると、人件費は単純に倍以上。とんでもない経費増ですから、最終的な売価は彼らがそれまでに作った商品の倍~数倍にはなりますので、そのまま商品化するのは大きなリスクが伴います。
しかしながらそういった「一切合切手抜き無し」の状態で一度物づくりを完成させると、それまで省略されていた過程の中で省略すべきでない重要なポイントに気付いたり、もしくはその省略の意味が理解出来るなど、良い影響が必ず生まれます。そこから新しい物づくりのヒントを得たり、従来の製品の品質が劇的に向上したりします。
要は原点に立ち返ることで本来の姿を見出し、再び元の製法に戻るとしても、その物づくりの意味合いを大きく変化させることが出来るのです。そうすれば「半端物」を作るのではなく、敢えて「意図的な省略」を試みた物づくり、つまり「良い物」と言う前提を創造する事が出来るのです。
そうやって出来上がった良い物は、やはり高く売るべきでしょう。安く売ってしまうと、その職人や料理人達のそれまでの人生経験に裏打ちされた技術に意味が無くなってしまいます。彼らの技術や人生経験は、高く売るべきなのです。
それに対して、上記のような200%の手間暇を経験していないか、そもそも中途半端な経験しか積んでいない状態の人が作る物については、やはりそれなりの値段で販売されるべきです。また、「良い物を安く売りたい」などという言葉の裏には、その人の経験が非常に中途半端であるという事実が垣間見えます。本気で良い物を作っている人は、それを高く売るか、もしくは余りにそう言う計算が出来ずにとんでもない安価で売っているか、のどちらかですね。
ちなみに弊社の茶事・茶会のコンセプトは「400年前に立ち返る」ことですので、様々な面で常識では考えられないほどの不便をみずからに強いています。自らにそういった呪縛をあてがうことで私の頭脳は必死にあがき、それが新しい創造へと繋がっていくのです。
いずれにせよ、「良い物を安く」とは三流以下の発想であることに変わりはないと思います。
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