『雑木林に住む』(鳥編)
『雑木林に住む』(猫編) からつづく
鳥が集まる「住まい」
近所にはまだ雑木林が残る地域であった自宅敷地ですが、この20年ですっかり林は減って雑木は切られてしまいました。しかし、このあたりは我が家を含め庭木の大きくなった家が多いせいか、鳥が集まってきます。自宅の庭に関して言うと、20年前より現在のほうがずっと多くの鳥たちが来訪しています。造園予算も乏しく、なんとか植えてもらった庭木がようやく成長したからかと思います。ひょろひょろだった木が、すごい幹周りの立派な木になりましたから。
鳥が集まってくるのは、身を隠す葉っぱが多くあるということもありますが、彼らにとっては食べ物になる植物の花や実や虫が豊富にあるということがより大切なのだと思います。おそらくそれは「なわばり」の最重要ポイントでしょう。そうして色々な鳥が集まってくると、そこで「糞」もするので「肥料」とともに落とされた「種」によって、そこに植えていない見知らぬ植物もどんどん生えてきます。不思議にそうして生えてきた植物は「よそもの」のくせにすこぶる強く、しっかりその場に定着していきます。たくましい者たちです。
子供の頃の「鳥」の記憶
子供の頃は、海や川が近くにある大阪市内の町で育ちました。外に遊びにいくと鳥はいるにはいましたが、いわゆる「土鳩」か「スズメ」しか見ることはありませんでした。たまに上空に「トンビ(トビ)」が飛んでいるのを目撃しましたが、ペットショップに行かなければ他の種類の鳥は見れない環境でした。なぜだか、当時「カラス」はあまり見かけた記憶がありません。
鹿児島に移住すると「鳩」は綺麗な色をしていていました。自宅近所では「キジバト(ヤマバト)」と呼ばれるのがよくいます。また「スズメ」はほとんど見かけることがないのです。子供の頃、大阪ではスズメばっかりだったのに。調べてみると、最近では全国的にも個体数がかなり減っているそうです。
普通にバードウォッチングできる「家」
特に鳥を観察するのが趣味ではないのですが、家にいると普通に鳥たちの「生活」が部屋から眺められるようになりました。庭木が大きくなって窓の近くに幹や枝がせまってきますと、毎日のように間近でちょろちょろしているのです。おそらく、外からは窓ガラスが反射して中の部屋の様子が見えないのだと思います。窓際に人間が座っていてじっと見ているのに全く気づかないのです。窓ガラスがLow-Eガラスのペアになっているからかもしれません。
大阪に住んでいた頃の感覚で、どうせ同じ種類の鳥が来ているのだと思いきや。録画してよく見てみると、様々な種類の鳥がやってきていることがわかりました。鳥の色や柄は種類が違っていても似通ったのもいますので、特定するのが難しいですが、録画しておくとちゃんと調べることができます。見た目の容姿だけでははっきりしない場合も、ネットでは鳴き声なんかも出てきますのでそれが決めてになることが多いです。
今回も録画時の音声には様々な日常の音や声が入り混じっていて、以下の動画では音声NGなものは無音にしてあります。あしからず。
※動画右下のアイコンをタップしていただくと全画面表示になります。
↑毎朝の「さえずり」がはげしいのは、どうもうちの庭が多くの鳥の「なわばり」になっているからのようです
↑いつもずっと「声はすれども姿は見せず」 ようやく捉えた「うぐいす君」(鳴くのにあわせて尻尾が動くんですね)
↑キジバトがトコトコ歩いているともう一羽。「おーっとあぶない!」
↑2階バルコニーに避難してきました。どうやら「ご夫婦」のようです
↑鳥たちには2階バルコニーの手すりが「人気」のようです(歩いているのはシロハラ)
↑超すっぱかったグレープフルーツを庭木に置いてみたら、メジロとひよどりで取り合いに
↑エナガは地味な鳴き声ですが、窓の外を見てみたら入れ替わり立ち替わり次々とやってきます
↑ひっくりかえってぶら下がってしまったグレープフルーツに決死の「ハチドリ喰い」するヒヨドリ
在宅で仕事をするようになって「自宅の環境」を再発見することが多くありました。鹿児島に引っ越して2年間住んでいた一軒家も今の家と同じ町内ですが、そんなに鳥がいたような印象がありません。ひょっとしたらいたのかもしれませんが、木や葉っぱが近くになかったり、窓ガラスが型ガラスだったりして身近に感じることができなかったのかもしれません。
これまでは動物の気配があるような自然を感じる庭には「数百坪あるような大きな敷地に森のように木があれば鳥もやってきて自然いっぱいの庭になるのだろう」といった公園のようなイメージを持っていましたが、どうやらそういうことではないようです。小さくても自然いっぱいに感じられる「法則」は確かにあるようです。
「自宅の敷地に木を植える」ということに「非常識」を感じてしまう人の比率が多くなってしまっているようです。しかし、毎日自宅で普通に自然を感じるということには「憧れ」を持っている人が少なくなっている訳ではありません。そこに、「つくり手」としての「技術」を投入すべしと考えます。
『雑木林に住む』(番外編) につづく
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