「売れる」ための「情報発信戦略」―売れてなんぼを知る。売れなければ何の説得力もない―
よく、「大した中身でもないのに、なんであそこの○○はあんなに売れているんだ。内容の良さではうちの方がずっと勝っているのに。」とか「あそこの○○が、なんであんなに人気があるのかわからない。まあ大衆受けを狙っているんだろうけど・・・」といったセリフを聞きます。○○には、食べ物だったり商品だったり、とにかく売れているものを入れてみればわかると思います。
人の好みは様々ですから、上記のような感想を個人的に持つことは全くその人の勝手といえましょう。しかしこれが、上記の○○と同じものを扱っている、つまり、同じビジネスを行なっている人の感想となると話は別です。
何故ならば、どう言いつくろうと、それは負け惜しみに過ぎなくなるからです。
例えば「あんなまずいもん、よく食えるな。」とか「まったく、味のわからん奴らはしょーがないな。」とか言ったところで、その食べ物が売れていたら、それは勝者ということになります。
「売れる」には訳があり、こちらからは「味のわからん大衆」に見えていても、彼らにはその食べ物を好む理由があるのです。
上記のような感想を述べる人は、決定的な勘違いをしています。
それは「いい商品は売れるはずだ。」というものです。
そうではなくて「売れるものがいい商品」なのです。
まず「売れ」なければ良いも悪いもありません。そこのところを勘違いしていては、いつまでたっても自社の商品が売れることはあり得ないのです。
私は、コンサルティング業とは別に、日本でも屈指の田舎ともいえる地方で会計事務所を経営しています。
こちらの事業では、常に「どうやったら「売れる」のか」を実験的にチャレンジしています。
常時、そういった試行錯誤を繰り返していますので、おかげさまで過去25年間、一度も業績が下がったたことはありませんでした。
ずーっと微増とはいえ業績アップを図ってきた結果、売上は父が経営していた頃の2倍、人員も2倍の規模になっています。
とはいえ、「25年間で2倍では大したことはないじゃないか。」と、思われるかも知れません。「ずいぶん時間がかかった割には2倍かよ。」と。
ただし、ここで申し上げたいのは、その間に地域の人口が半減している、ということです。
正確には半分以下に減っています。おそらく、商売をしていた店舗数や事業所数はもっとすごい勢いで減少しているはずです。
その中での売上2倍は、人口がそれほど変化しなかった都市部で換算すれば、4倍伸ばしたくらいの実績に匹敵するのではないでしょうか。
つまり、この間私はずーっと「売れる」ための努力をしてきたことになります。会計事務所が売れるためにはどうしたらいいか、何をすれば顧客或いは顧客候補に支持されるのか、を継続して追求してきたのです。
不思議なことですが、この間、同業者だけでなく、町で商売をなさっている事業主、他の事業経営者を見ていても、ここに注力している人を見たことがありませんでした。
「売ることに注力する」というのは、私流に表現すればまさに「マーケティング」ということになります。
私が周りを見渡したときに、同業者や地域の経営者の中でマーケティングに注力している人はいませんでした。
というより、「マーケティング」という概念そのものがなかった、と言っていいくらいです。
同業者(税理士、会計士)からは、「そもそも我々は国家資格で仕事をしているのだから、マーケティングといった売らんかなの民間企業の考え方を取り入れるのはおかしいのではないか。」という見解が示されました。私に言わせれば、国家資格というお墨付きのもとに仕事をしているとはいうものの、国や自治体などの公的機関に、雇用されているのでもなければ、お金ももらっているわけでもありません。
「売上」は、あくまでも民間である顧客からしかいただけないのです。
そういう意味では、この業種についても、立派な民間企業だと私は最初から思っていました。ということは、自らが提供するサービス商品が「売れ」なければ意味がありません。
私の場合、そこの考え方は、当初から徹底していましたが、そういった感覚は同業者から見て違和感があったようです。それは今現在においても、同じ感じを受けます。ただし、この違和感は、昔ほどは強くはなくなったようです。おそらく税理士の世界でも「マーケティング」の重要性が少しは認識され始めたのかも知れません。
また、地域において「マーケティング」の考え方や手法が普及しなかったのは、私が繰り返し述べてきたように、地域社会、特に地方のそれにおいては「地縁血縁顔パスビジネスモデル」の上にビジネスが成り立ってきたからにほかなりません。
このモデルの上に成り立つ社会では、あまり「売る」ことに踏み込んでアクションを起こすことは、むしろ敬遠されます。地縁血縁のもとにお互いやりとりをしているのですから、「売らんかな」のアクションは、みっともない或いは厚かましい行為として敬遠されることになるのです。
そもそも「地縁血縁顔パスビジネスモデル」は、地域人口が多いなどのそれが成り立つビジネス環境にあれば最強のモデルです。
というのは、このモデルのもとでは、営業経費、広告宣伝費、その他販売促進費の類が全く必要ないからです。
多少必要とされるのは接待交際費くらいであり、営業関係の費用がほとんどかからないというのは、零細な地方企業の経営にとって、最強のビジネスモデルといっても過言ではなかったのです。
さて、冒頭のテーマに戻って「売れる」ということについて考えてみたいと思います。「良い商品が売れるのではなく、売れたものが良い商品なのである。」と書きました。「なんであんなものが・・・」と思ったとしても、「売れた」という事実を獲得した者が勝者なのです。
これを自分に置き換えてみましょう。「売れたものが良い商品」なのだ、と書きましたが、やはり提供するからには「良い商品」であることは大原則です。それは当たり前の大前提として、「良い商品だから売れる」とは限らない、ということを申し上げたいのです。
良い商品であると自負しているのであれば、それだけ「売る」努力は必要ということになります。
でき得る限りの努力をしてみて、それでも売れなかったとしたら、それは市場にとって「それほど良い商品ではなかった。」ということになるのです。
或いは「早すぎて、時代に合わなかった。」という不運に見舞われることもありますが、これも目いっぱい「売る」努力をした上でなければわかるものではありません。
売るための努力というのは、営業活動であり販売促進戦略の構築です。これを経ずして、「売れる」という果実を手にすることはできません。
私の場合、サービス商品の開発や人員の養成など様々な努力もしてきましたが、同業者や地域の経営者がやっていないことといえば、やはり「情報発信(アウトプット)」だったと思います。
これは、単に事務所情報の伝達という役割ばかりでなく、販売促進に大きく寄与したと思います。
「売れる」ための努力としては、私は「情報発信戦略」に注力したのです。
同様の手法で効果を上げることのできる企業が、地方には多くあると思います。「売れた」という事実を作るために、まずは身近な「情報発信戦略」から取り入れてみてください。
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