マーケティングの真ん中に社会課題が取り込まれる日
先日、SDGsに関わるビジネスプランのプレゼンテーションを一緒に見ていた知り合いが「SDGsのビジネスで成功している会社って、もともと社会貢献活動やっていた会社が多いよね…」とポツリとつぶやきました。
そういう目で見てみると、SDGsに関わる賞をとっていたり書籍に事例として掲載されている会社の多くは、社会起業的な成り立ちであったり、もともとCSR活動を一生懸命やっていたりというところが多い。それも確実にSDGsが登場した2015年より前から事業を手掛けています。
つまりSDGs未満の一般的な中小企業から見ると「特別な」位置づけになり、「おれたち普通の会社には無理だよな」という反応を引き出してしまう。かえってSDGsが代表する社会課題解決方面に事業の枠を広げる意向を引き出しにくくしています。
私が常々思うのは、人は自分が満たされなければ、他人に良いことをしようとは思わない、ということです。同じように企業も本業で利益を生み出していなければ、社会を良くしようなどという方向へ思考回路は回りません。
時に素晴らしく高い志を持った社長に出会うこともあります。例えばコロナ禍で売上が激減する中、政府から給付金をもらいつつも自分の給料をゼロにした上、銀行から借り入れまでして雇用を維持しようという社長。常人にはできない離れ業を成し遂げておられますが、やはり「特別」なカテゴリーに入る方のお一人です。
日本人になじみの深い三方良しは「売り手良し、買い手良し、世間良し」です。このうち最初の最も重視すべき要素である「売り手」は自分、自社です。仏教用語の「自利利他」は、自分を利することがすなわち他人を利することになる行為をしなさいという教え。さらに生物学の中で語られる「利他性」は、他の生存に尽くすことによって結果として自分を利することになる「究極の利己性」とイコールだと言います。
であれば、「特別」でない私たちが、SDGsのような社会課題解決活動と向き合う時には、同時に「自分の利益」を考えないと無理だとも言えるわけです。
海岸のプラスチックごみを拾うことも、山に木を植えることも、海外の恵まれない子供たちに救済の手を差し伸べることも良いことには違いありません。しかし、それをやる当人にとって「利」がなければ、長続きはしない。特に利益創出が必須の中小企業であればなおさらです。
マーケティングの歴史を振り返ると、物が乏しい時代は、作るそばから売れました。製造技術が向上し、供給が需要を超えると、顧客がどうすれば買ってくれるかを考える、いわゆる顧客視点のマーケティングが生まれました。そして、これからは、地球環境の制約や人が人らしく働ける環境づくりの制約が、マーケティングを規定するガイドラインの重要な要素になってきます。
つまり地球と働く人の事情を考慮していない商品やサービスは、早晩売れなくなる、のです。
1990年以降に生まれたミレニアル世代、そして、それよりも若いZ世代が消費の中心になるとき、この選択基準はさらに明確に現れてきます。
自利利他が当たり前になる未来は意外に早くやってきます。SDGsを持ち出すまでもなく、社会課題への取り組みがマーケティングにデフォルトで取り込まれるのも時間の問題です。準備を始めるのは今、なのです。
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