目立つこと=悪か?!?―悪名は無名に勝る、悪名は一つのビジネスモデルである―
辣腕編集者であり、出版社「幻冬舎」の代表でもある見城徹氏は、自らも何冊も本を書き出版しておられます。
私はこれまで氏が出されたほとんどの本を読んでいますが、その中でやはり実業家の藤田晋氏との共著形式で出された「人は自分が期待するほど、自分を見ていてはくれないが、がっかりするほど見ていなくはない」という長い題名の書籍は内容が面白く、印象に残る一冊でした。
私は本を読むとき、「いいな」と思った表現や大事と感じた言葉には、赤線を引っぱったり、そのページに付箋をつけたりするのですが、この本はその赤線や付箋がいっぱいくっ付いている一冊です。
この本は、共著といっても、よくあるような、章立てでそれぞれが担当した章を別々に書くという分け方ではなく、1つのテーマに対して二人がそれぞれの見解を述べるという形式で成り立っています。例えば、「第一章 自分を追い込め」では、「考えに,考えて、考え抜け、今日と違う明日を生きろ、居心地の悪いところに宝あり・・・」といったテーマであり「第二章 人付き合いの基本」では「感想こそ人間関係の最初の一歩、年賀状は出すな、情けあるなら今宵来い・・・」といったテーマが並びます。
こういった一見面白そうで興味深い一つ一つのテーマに、お二人が見開き2ページ分ずつ自分の見解を書いていくのです。かなり一致した見解のときもあれば、意見が相当違う場合もあります。
中で、私が特に興味を引かれ付箋の数も赤線の分量も多かったのは「第六章 誰とも違う自分へ」の中の「悪名は無名に勝る」というテーマでした。
このテーマでは、それぞれがどんな風に書いておられたかというと、次のようになります。
その前に、この項のタイトルは「悪名は無名に勝る」です。
そして、サブタイトルには
― 悪口は、放っておくのが一番いい。
人は興味があるから、悪口を言うのだ。
人の口に上ることは、
金のかからない最高の宣伝である。―
といった言葉が並びます。
まず、見城徹氏の見解が述べられていますが、その中でこのテーマについて、氏は次のように締めくくっています。
― 人はいい話だけを語ってはくれない。話を面白くしようとしたり、妬みや嫉みからその十倍二十倍、悪口を言うものだ。でも、それでかまわない。悪名を伝説に変えるためには、俎上に載せられる痛みに耐えなければならない。
伝説ができれば仕事は向こうから勝手にやってくる。
悪名とは、一つのビジネスモデルなのである。―
上記の見解、「なるほどな」と思います。ただ、確かに氏のおっしゃる通りだとは思うのですが、このプレッシャーに耐えるのは、常人にはなかなか難しいのではないでしょうか。
おそらく、或る程度腹の座った経営者でなければ、こういった痛みに耐えきれないで、途中で大人しくなってしまうことでしょう。見城氏の言われる「悪名をビジネスモデルとして受け入れる。」のは並の経営者ではできそうもありません。
それでは、見城氏より、二回り近く年の若い藤田晋氏はこのテーマに対して、どのように述べておられるのでしょうか。
― 僕は、いつもその時代の真ん中にいることを心掛けてきました。(中略)
でも注目された分だけ、バッシングも受けます。特に、ネットバブル崩壊後のバッシングは、ある程度覚悟していたつもりでしたが、想像をはるかに上回るものがありました。(中略)
経営者がマスコミの取材を受けていると、「目立つからたたかれるんだよ」という人がいます。そういう人は、目立っている時に得られるメリットの大きさを過小評価しているのではないでしょうか。注目を浴びれば、客が増えて、採用も有利になり、取引を希望する企業も増え、社内も活性化します。(中略)
ネット業界が注目されている時期に露出を避けていた経営者は、たたかれることもなかったけれど、結局は何者にもなれず、そのほとんどは姿を消しています。(中略)
これは、若いビジネスマンにも言えることだと思います。チャンスがあるなら、社内外に自分を売り込むべきだと思います。マスコミの取材を受ける機会はなくても、今ならツイッターやブログで簡単に自分をアピールできます。(中略)
しかし、その代償として悪名は覚悟するしかありません。精神的ダメージとメリットを天秤にかけて、どちらを選ぶべきか自分で判断すればよいのです。―
藤田晋氏のこの見解は、まさに普段私が申し上げている「情報発信(アウトプット)」の重要性を述べておられます。
これまで私は「情報発信戦略セミナー」を、数十回開催してきました。
その最後の質問コーナーで、何度か聞かれたことに
「いつも『業界の中では、なるべく目立たない方がいい。』と先代や業界の先輩達に言われているのですが・・・どうなんでしょうか?」
というものがありました。
これに対して、私はすぐには答えず「それではあなたはどう思っているのですか?」と聞き返します。
すると
「自分としては、今日の講義のように、もっと「情報発信(アウトプット)」した方がいいような気がしているのだが・・・」
と、迷っている様子が伝わってきます。
そうなのです。
いまだに日本のビジネス界、特に地方のそれにおいては、「目立つこと=悪」という図式が成り立っています。
それは、藤田氏が書かれているように、成功することと目立つことが重なった場合、特に顕著に表れて、何も悪いことはしていないのに攻撃の対象になることさえあるのです。
しかし、それを恐れていたのでは前に進むことはできません。「目立つこと」をメリットデメリットで語っておられるのは、いかにも若い藤田晋氏らしいところですが、若い世代がそれで分かりやすいのなら、そういった切り口でいいと思います。
経営者が自ら積極的に「情報発信(アウトプット)」を行なえば、多かれ少なかれ目立つことになってきます。
特に、SNSなどのデジタル媒体と地方メディアをシンクロさせた私の推奨する「情報発信戦略」が軌道に乗った場合、ビジネスへのフィードバックを含めて、その地域やその業界では少なからず「目立つ」存在になるのです。
昔は、そのネガティブな反応のみを恐れて、「目立たない」存在に終始することが賢いとされてきました。
現在は、見城氏、藤田氏の言われるように、そのネガティブな作用を凌駕して、「目立つ」ことのメリットを享受する必要があります。そうでなければ抜きん出た存在になり得ないからです。必ずしも「目立つこと」=「悪名」となるわけではないのですが、その危険性が高いのは、残念ながら日本のビジネス社会の特徴かも知れません。
経営者、特に若い経営者は、そんな「危険性」など恐れずに「情報発信(アウトプット)」を通じて「目立つ」存在になっていただきたいと思います。
「悪名は無名に勝る」のですから。
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