経営者が結果責任を負うのは当然のこと
今日は久しぶりに地方の顧客へ会いに出かけている。非常事態宣言が解かれたとはいえ、顧客の中には当面の訪問はご遠慮願いたいという企業もある。コロナ禍にあって私のような直接の対面、面談を想定したビジネスモデルを持つ業種の企業は対応に苦慮している。多くの企業はオンラインでの対応に切り替えられているのだろう。
私はというと、これまでのIT音痴が災いしオンライン化に乗り遅れてしまっている。まるでガラパゴス化された珍獣が新しい環境に馴染めず右往左往しているかのように見えるだろう。当初は早期の鎮静化が期待されたが、今ではその望みも泡のように消えてしまった。ここまで来るともう異常事態とは言えず、これが常態だと云われている気がする。
今年65才となる身としては今更もうじたばたしたところでどうしようもないとも思っている。今更若者に迎合するかのように愛想を振りまいたところで可愛げがあるはずもない。時代の流れに取り残された珍獣でもいいじゃないかと開き直っていようかと思う。あくまでも対面、面談でのコンサルティングと顧問業をやるしかない。そのうち、今でもそんなコンサルタントがいるのかと珍しがられ希少価値が出ないとも限らないではないか。
最近よく聞く「ウェビナー」という言葉がある。どうやらウェブ上で行うセミナーのことらしい。これまでの自主開催セミナーはことごとく上手くやれていない。そんな私がオンラインでセミナーができるとはどうしても考えられない。もともと私の自主開催セミナーにそう多くの人が参加してくれていたことはない。たとえ一人でも二人でも来てくれればありがたい。やはりセミナーもこれまで通りやらしてもらうしかないと思っている。
つい最近、政府が選択制週休3日制の導入を検討との記事が出た。おいおい本気で言ってるのというのが素直な感想。それに対し経済評論家、経済学者などが多様性のある働き方を進めることになり賛成だというコメントまで出る始末。中小企業経営者がどう考えるかなどまるで考慮されていない。働く人たちの収入が実際どう変化するかなども重要なことではないかのようだ。
社員が週休3日制で働かせてくださいと言ったなら、経営者はそれはいいけど給料は下がるよと言う他ない。さらにはこれまでの待遇を見直しさせてもらうよと言う経営者もいるだろう。それまで正規社員であった者を非正規社員とする、あるいは非正規社員と同等の待遇とするというだろう。企業によっては業務遂行を維持するための人員確保にとても苦労することが予想される。
一方、週休3日制を選んだ社員はどうだろう。なかには休日の3日を余暇として楽しむ人がいる。またある人は副業として他の仕事に休日を充てることになる。なかには週休3日制を選んだために大幅に給料が下がり、休日にそれまで以上働かなければならなくなったという人がでるだろう。週休3日制を選んだおかげで生活が充実し、さらには収入も増えたという人がいったいどれほどいることになるのだろう。
そもそも政府がやろうとしている選択制週休3日制の目的は何なのだろう。企業にとっても社員にとってもメリットよりデメリットが多いと思われるこの施策をなぜやろうとするのだろう。企業を弱体化させ社員の所得を減少させることになると簡単に予測される施策をなぜ出すのだろう。経済団体、商工団体はなぜ黙っているのだろう。
今の世の中にはそれを言われるとみんなが一斉に思考停止になってしまうワードが多くある。世界的には「地球温暖化」「人権」「自由」「差別」などのワードが使われるとあらゆる議論が一方向にしか向かないことがある。日本国内でも「環境」「差別」と声高に叫ばれると議論の余地がなくなってしまうことがある。同じように今の日本では「コロナ感染防止」という言葉がなによりの金科玉条となっている。
この度の選択制週休3日制の導入検討の記事の中で目的のひとつとして「コロナ感染防止」という言葉が入っていた。このワードを今の日本で出されると誰もが反対できなくなる。そのうえ「働き方改革」の一環として「多様性」ある働き方のひとつだと言っている。なおかつ「1億総生産」の事業としても扱うと言われるともう誰も何も言えなくなる。
コロナ禍にあって多くの企業が減収減益となるなか、政府が打ち出す施策が「選択制週休3日制」では企業として立つ瀬がない。中小企業経営者は呆れて開いた口が塞がらないはずだ。コロナ禍で企業経営の舵取りが難しい上に政府の打つ手が経営の足かせとなるようでは先行きが思いやられる。こんなときだからこそ企業経営者は自らの手と足と頭で自らの進む道を切り開いていく覚悟が必要なのだと思う。
コロナ禍で企業を取り巻く外部環境は大きく様変わりしている。その変化にどう対応していくかはそれぞれが判断し決定していく。それぞれの企業のそれぞれの対応が正しいかどうかは今後の業績の変化で判断されることになる。企業経営は結果がすべてである。経営者が結果責任を負うのは当然のこと。外部環境の変化をどう捉え、経営判断をどのように下すのか。経営者それぞれの判断が結果を決めることだけは確かなことである。
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