会社を経営するということ
会社を経営するということは大変なことであると感じています。特に創業社長の苦労は大変なものでしょう。自分で調達した小資本を基に起業し、頭と体を使って少しづつ資本を蓄える。そのうち人を雇うようになり事業規模も大きくなる。無我夢中で働いてきて多少余裕ができたと思って振り返ってみると、背負うものが大きくなっている。社会的責任もあって当分自分の時間は持てない。もう少し頑張らねば・・・。
小規模ながら、経営者の端くれの身として創業社長の苦労というものが分かってきました。サラリーマン生活が長かったのですが、そのころとは違った視点でビジネスを見ることができるようになりました。そして、そのような視点で見られるということはある意味幸運だと考えています。多くのサラリーマンはそのような世界を見ることはないのですから。
「先生、もう俺は引退して息子に会社を譲ろうと思うんだ」
「えっ?社長まだ若いじゃないですか。引退する年でもないですよ!」「息子さんに譲るのはいいとして、せめて会長として会社に残ってアドバイスされたらいかがですか」
「いや先生、俺は一生分働いた。若いころは寝ずに働いたものだ」「人は一生のうちに働ける量は決まっていて、俺はその量以上に働いた」「だから、すっぱり引退する」
少し前、当社の個別相談を受けられた、建設関係の会社社長との会話です。まだまだやれるのにもったいないなと一瞬思ったのですが、「一生分働いた」という言葉はかなり重く受け止めました。自分はまだ一生分働いていない。これからどれだけ働けば一生分働いたと言えるだろうか。そういった思いがこみ上げてきました。
人生はどれだけ長く生きたかということより、どれだけ充実していたかということの方が大切です。30歳代や40歳代でやりきったという人は稀でしょうが、60歳代になればそう言える人もいるかもしれません。そういえば、東京製鉄の前の社長だった池谷さんもそういった人の一人です。創業家でありながら60歳で現社長の西本さんに経営を譲りました。その時の言葉が「一生分働いた」です。
人生100年時代、日本人の寿命は大きく延びています。しかし、一生のうちで働ける量というものはあるようです。そして人は必ず死を迎えます。働けるときに働かないでいつ働くんだ。今しか働けないんだから、今、一生懸命働こう。こう思いながらコンサルタントをしています。
会社を経営するということは、その規模とは無関係にある一定の社会的な責任があります。会社の規模が小さいから責任も小さいとは考えていません。世の中に通用する価値を提供し続けなければ、その責任が果たせないと考えています。会社を経営するということは、それだけの勇気と覚悟が必要です。それがあって初めて会社経営者と呼べるのではないでしょうか。
ところで、先ほどの会社からはその後しばらく音沙汰がなかったのですが、最近、新社長(息子さん)から連絡がありました。
「先生、俺、オヤジとは少し違ったやり方をしてみたいんだ」「うちは建設関係だけど、仕事をもっと可視化してお客さんに安心してもらえるようにしたいんだ」
一言でいえばビジネスのショールーム化というご相談。建設業というと一部の悪徳業者は手抜き工事だったり、品質の悪い材料を使ったりと、お客さんに見えないところで利幅を取ろうとします。そういう商売は嫌だからというのが理由です。
「承知しました。一生懸命お手伝いします!」
というわけで、コンサルティングに入ることになりました。
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