アフターコロナ、インプットの立体性について考える―「情報」は3次元志向で厚みにあるものに―
新型コロナウイルス禍によって、移動を制限させられたのは私の職場だけではないと思います。私は会計事務所のオーナー経営者として主に鹿児島で、またコンサルタントとしては東京と鹿児島を行ったり来たりしながら仕事をこなしています。
しかし、今回のコロナウイルス禍でこの首都圏と地方の移動については自主規制せざるを得ず、20名の部下を抱える鹿児島の事務所の方へとどまらざるを得ませんでした。
時間の経過とともに、コロナウイルスによってもたらされる症状がそれほど深刻なものではなく、細心の注意さえ払っていれば、普通にビジネスを行なってもかまわない、と判明してからも、地方におけるこの病気に対する偏見はおさまりませんでした。
そんな地域的な背景もあり、差別的な扱いを受ける可能性も高かったため、半年を超えて田舎に塩漬け状態になったのです。
コンサルタント業務としては、この間、鹿児島市内において何回かのセミナーは実施しましたが、活動としてはかなり制限されていました。とはいえ、かつてない緊急事態でもありましたので、そのこと自体は受け入れざるを得なかったのです。
さて、9月になり、どうしても仕事上の必要性があり、久しぶりに上京することにしました。そこで、半年ぶりに上京して気づいたことがあります。
それは、私自身のインプットがかなり疎かになっていたな、ということです。
いったいどういうことでしょうか。
もちろん、この半年間も学習やインプットを怠っていたわけではありません。
テレワーク、リモートワークについては、新しいシステムを導入し、機材も購入、職員の訓練も行ない、今後のビジネス社会において必須となるであろう新しい働き方についても積極的に取り組んだのです。
私個人は、顧客訪問、出張、業界の会議、懇親会などがほとんどなくなりましたので、余った時間はビジネス書を読み、講演CDを聞き、BS放送のビジネス番組など観たりと、学習にも怠りなく励みました。
こうやって、今回の災厄に対してもそれなりに対応したつもりだったのですが、どうも何かが足りません。例えばこのコラムです。これまでは四苦八苦しながらも、なんとかテーマを見つけ書くことができていたのですが、ここのところの3,4週間はホントにテーマが思いつかなくなり困り果てていました。
そんな中、今回上京し、ハッと気づいたことがあります。
それは、久しぶりに上京し、会うべきビジネスパーソンと会い、話すべき話をしていて発見したのです。
いったい、なにを発見したのでしょうか。
それは「情報の立体性」ということです。
どういうことでしょうか。
私は、田舎にこもっていた間、上記のように、読む、聞く、観るといった方法で情報のインプットは怠りなくやっていたつもりでした。
しかし、それらは或る意味すべて2次元情報になります。
ペーパーに印刷された文字であり、スピーカーから流れる音声であり、画面を観ることによる画像であったわけです。これらはいずれも、学習する際の基礎であり、必要な作業と言えるでしょう。
しかし、残念なことに、立体的な厚みに欠けるのです。
つまり、理性や頭脳には働きかけてくるのですが、身体全体で感じるところの「腑に落ちる」という状況にはなかなかなりません。
感情にまで訴えるには、2次元情報で得た内容を目の前で現実に見たり、発される言葉を肉声で聞いたりする必要があるのです。
そうやって初めて、本当に我がものになるような気がします。
また、2次元で流される情報は現実と乖離している場合もあります。
それはいったいどういうことでしょうか。
以前、東京に住んでいるとき、表参道のイルミネーションを連日マスコミが報道していたことがありました。光り輝く美しい映像に、それをテレビや雑誌で見た人は、なんてきれいなんだろう、と感動したと思います。私も家族を連れてその現場に観に行ったことがあります。
ところが、報道される美しい映像とは裏腹に、イルミネーションの下は、えらい騒ぎだったのです。単に人がごった返していたというだけでなく、美しい映像を撮るための歩道橋の上は、ベストポジションを確保するための熾烈な戦いの場でした。それは映像を生業(なりわい)とするプロたちの戦場だったのです。おそらく、そこで撮られた映像は来年再来年の紙上やカレンダーなど飯のタネとして使われたのではないでしょうか。そこにはまさに美しい風景とはかけ離れた、超現実的な職業上のやり取りが行なわれていたのです。
さてここで何が言いたいのかというと、情報というのは立体的に見てみないとわからないということです。
特に現場で現物を見てみなくてはわからない、といったものに関しては、音声や映像などの間接情報だけでは全体を把握できないケースも考えられます。今回取り上げましたイルミネーションのケースも、美しい映像の陰で熾烈な現実的やりとりが成されていたわけです。
ただ、ここで誤解して欲しくないのは、「実は、裏では醜い現実が展開されていた」といった、ゴシップ的暴露的な見地で言っているのではない、ということです。
そうではなく、「物事は表面に見えている事実だけに惑わされず、立体的な見方をすれば、実に興味深い真実もあるのだ」といった深掘りしたものの見方をすべきである、ということなのです。
私にとって、映像を生業にするプロの仕事人の姿勢や厳しい現場の状況を見るのは新鮮であり、いい刺激にもなりました。
これはまさに、現場を見て実際に体験しなければ味わえない、感情にまで訴える立体的な情報だったことになります。
今回の上京においても多くの出会いがあり、様々な発見がありました。首都圏における経済の動きは、以前としてコロナ禍が続いているといっても、やはりダイナミックなものがあります。
人々の往来、新しい施設の建設、先端システムの稼働状況など、どれをとっても、地方にこもっていては出会えないものばかりです。
こうった現状に刺激を受けることで、また新たなアイデアの創出や新しい事業への意欲といったものが湧いてくるのです。
さて、アフターコロナ、これからはビジネス上の人の往来も激しくなっていくことでしょう。
病気に対しては最大の注意を払いながら行動しなければなりませんが、ここまで、塩漬けになって動きが止まっていた立体的情報の取得には積極的に取り組むべきだと思います。
いろいろと新しい局面も想定されるアフターコロナの世界、貪欲に食らいついていかれることを望みます。
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