突然目の前に現れたボールを、拾いにいくための所作
製造業を中心にサプライチェーンの見直しをする企業が増えています。食品メーカーが包装工程を内製化したり、部品メーカーが調達先を分散化したり。数度にわたる自然災害や今回のコロナショックのような衝撃的な出来事が起こるたび、サプライチェーンが分断され、稼働に支障がでる昨今です。効率性の追求や「もたざる経営」が、どうも通用しないような世の中に変化しているようです。
小さな企業であれば影響はないかというと、そうでもありません。幸い、今回のコロナの影響下では、宅配業者のみなさんが通常通りに稼働してくれたおかげで、コピー用紙もトナーも必要な書籍も備品類も滞りなく届きましたが、そうでなかったというシナリオもあり得ることです。「あした届く」に頼りすぎて在庫を持たないことが、もしかしたらリスクになるかもしれない、わけです。
とにもかくにも、今回のコロナ禍はいろいろなことの見直しを促してくれました。その一つが「冗長さ」の価値の再確認です。
「冗長」というと、もともと文章が長くて無駄が多いといった“好ましくない”状況を指す言葉です。それがなぜ今大切になっているかというと、世の中が以前と同じパターンで進まなくなっているからです。環境がずっと同じで、「荷物は翌日届く」が未来永劫続くのであれば、部品も外注先に依頼した加工品も必要最低限を在庫しておけば足ります。でも、いつ何時、「荷物はあした届かない」となるかもわかりません。
だから食品もトイレットペーパーも部品も必要最低限プラスアルファで在庫します。外注先も複数確保します。部品や製品などの在庫は「キャッシュを固定する」からと嫌がられるものでしたが、いつ起こるかわからない危機に備えるなら、その考えも修正しないといけません。
そういえば、ITの世界では「冗長」はポジティブワードです。基幹業務を担うシステムに何らかの理由で障害が発生した時、あらかじめ用意しておいた別のハードウエアに切り替えて、素早く復旧をはかれるようにする。万一の時のためにハードウエアを追加で用意しておくことを「冗長化」と呼びます。
話しは、がらっと変わります。
20年くらい前、大企業の人事部長と席をともにしたことがありました。社内の人材についての愚痴を一通り聞いていただいた後、おもむろに仰ったのは「人材に無駄はない」ということでした。細かな表現は覚えていないのですが、「今の環境では力が発揮できていない人材かもしれない。でも企業は同じような人ばかりだと環境の変化に弱い。だからその人が今、会社にいる意味はある」といった内容でした。
つまり組織には冗長さが必要だ、人材は多様な方がいいという話だったと思います。今の環境が続くとは限らないから、いろいろなタイプの人材を用意しておいた方がいいと。
全くその通りなのですが、多くの中小企業の場合、人材に余裕があるケースはまれです。できれば一人何役もこなしたうえで、他の社員がとりこぼした仕事も拾ってほしい。
環境の変化が早いと、今までやったことのないような仕事を手掛けることが多くなります。コロナ禍で経験したリモートワークもしかり。在宅勤務も初体験なら、半分の人数になったオフィスで働くのも初体験。
今までの役割分担ではカバーしきれない仕事が増えてきます。役割と役割の間に落ちてしまうような仕事を誰が拾うか。その仕事の存在と大切さに気づいて、拾って、なんとか取り繕うという所作を全員が身につけるにはどうすればよいのか。
「冗長さ」という言葉を拡大するならば、一人ひとりが、与えられた役割を超えて必要と感じる仕事をするようになる。過去の経験に基づいて整理された役割分担ではなく、その時に突然現れたボールを拾いにいけるような役割認識の転換、柔軟性が大切になります。
別の角度から見ると、与えられた仕事に加えて、自分が必要だと考える「将来のネタ」を密かに仕込んでいくこと、そしてそれを許容することも、組織の「冗長さ」と言えます。
ITシステムのように、片方のハードウエアが壊れたら別のハードウエアが自動的に稼働するような協働体制、あるいはイートインがダメならテイクアウトに切り替えられるような備えと柔軟性が根付くと、組織における「冗長さ」がポジティブな意味を持ってきます。
こんな組織はこれからの時代に頻発するであろうリスクに強いはずです。ぜひ一緒に考えましょう。
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