手続きと哲学
最近、環境ビジネスの世界ではSDGsをはじめとした理念や哲学への取り組みがちょっとしたブームになっています。平成になって以降、これまでもCSRだとかメセナだとか、時代に合わせて理念的な問いかけはあったのですが、今回の潮流はこれまでのものとは違って、かなり真剣な取り組みを求められる強度があると感じています。
一つの違いは、単なる掛け声ではなくある程度具体的かつ普遍的な成果を求められているということです。CSRのときはそんな建付けではなかったのですが、SDGsであれば単にゴールを標榜するだけでなく、ターゲットやインジケーターへの対応と言う形で具体的な成果を求められるのです。
パリ協定による気候変動対策への賛同を謳ったTCFDであれば、どのような形でCO2削減に寄与しているのかについてCDPなどの評価機関から質問状が届き、回答は評価され格付けに反映されます。あるいはグリーンファイナンスであれば計画書が評価機関によって審査されますし、環境への配慮を謳ったFSCやASCなど各種の格付け認証は一度取得すれば良いわけではなく、定期的な更新が求められます。
手続きが必要なものについては、実務に落とし込むことで何とか対応できる部分もあると思うのですが、それらを含めて多くの企業をまごつかせるのが、理念や哲学に関する判断と、それを自らのものとして消化することの必要性を理解しなくてはいけないという点です。
少なくない事例を見てきて思うのが、環境ビジネス企業には大きく分けて理念先行型と実務先行型の二つのパターンがあるようです。前者は問題ないと思うのですが、「儲かるからやる」でこれまで進んできた後者の場合、理念や哲学についての判断を求められたときにまごつきが大きく、中には立ちすくんでしまうような例も見られるのです。
スルーしていればそれで良かったこれまでとの大きな違いは、気候変動対策をはじめとする環境対応への取り組みと成果の実現が、極めて深刻に捉えられている、という変化です。京都議定書の時代までは、善意に基づいたオプションとしての気候変動対策に過ぎなかったものが、気候変動の深刻化もあって、昨今は地球市民が皆で取り組まないと取り返しがつかないことになる、という危機感を織り交ぜた問われ方をするようになってきています。
昨年のG20大阪サミットでは、道行くサラリーマンが皆虹色の輪っかを胸につけているのが欧米のメディアにも注目されたようですが、残念ながらその実態は善意のオプション的なムードから一歩も出ないものでした。
しかしながらその後、ダボス会議を経てコロナ危機を迎え、世界が取った行動が「グリーン・リカバリー」であり、日本政府が非効率な石炭火力発電所の見直しを発表するに及んで、ようやく社会の本気度に気づいた会社も出てきています。
今や企業経営者に求められるのは、理念や哲学を自らの言葉で評価し、それを社内で共有するための果断な意思決定に他なりません。そしてそれを具体的な成果に落とし込むことに、真正面から取り組む必要性が高まっているのです。
そういった事案に対応しようとするとき、日頃から理念や哲学について社員に考えさせる努力をどれだけ行っているかが如実に表れて来ます。企業行動が、手続き論に従って財務的利潤を得るだけのルーチンワークに止まっている会社では、いくら働きかけても理念や哲学の段階でモノを考えるトレーニングができていないため、まごついたり立ちすくんだり、といった結果になってしまうのです。
対策は、日頃からトレーニングを積んでおくしかありません。なぜそれをするのか?それはどういう意味があるのか?会社にとって、に加えて社会にとって、と言う視点を加える必要があるということに、早く気付いた会社は今、少しずつですが理念先行型へと舵を切ろうとしています。
あなたは、効率さえ高ければ良いと考え「仕事は手続きだ」、という整理のままで進みますか?それとも仕事が哲学であることを社員と共有し、明日の扉を自ら開きますか?
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