なぜ「ビジョン経営」ではうまくいかないのか?
「よく経営にはビジョンが大切っていいますけど、ほかの会社もビジョン的なものってちゃんと決めているんですか?」― 最近新たに当社のコンサルティングを開始された会社の社長から出たご質問です。
経営コンサルティングというからには、経営理念や経営ビジョンというものを定義していくものかと思われてのご質問だったようですが、こういった理念やビジョンといった言葉は注意が必要で、その取扱いを間違えるとかえって経営を駄目にしてしまう可能性があります。
現に「経営理念や経営ビジョンが…」といった表現が巷にあふれており、理念はわかるとしても、ビジョンって何を意味するのかというと、その定義は非常にあいまいだったりします。
この(経営)ビジョンという言葉の定義について、社会人向けビジネススクールのグロービスのサイトを見てみますと、以下のような説明があります。
「一般的には、経営ビジョンとは、経営理念のもと、自社の目指す将来の具体的な姿を定め、社員や顧客、社会に対して表すもの。」
この定義には違和感がないという方がほとんどではないでしょうか。そして、やはり社員や顧客を巻き込むためには、ちゃんとビジョンを設定した方がいいだろうと思われる方もいらっしゃると思います。
しかしながら、実際には経営ビジョンというものを設定したところで経営になんの足しにもならないどころか、むしろ害悪になるというケースが多いのです。
どういうことかというと、世の中に出回る経営ビジョンというものが、まさにこのグロービスの定義にもあるように顧客や社会にも示すことを想定した「聞こえのいいふわーっとしたもの」になりがちであり、ちっとも「具体的な姿」になっていないものがほとんどだということです。
たとえば以下のようなものです。
- 人々の暮らしを変える新たな生活・文化の創造
- 顧客第一主義の実現
- カーライフを通じた喜びの創造
- 心に残るおもてなし
文言としてはどれもいいことを言っています。間違っていません。しかし、これを経営ビジョンとして掲げたときに決定的に足りていないものがあります。それは、『こういった文言からは具体的なアクションが想像できない』ということです。
本当に重要なことは、このような誰にとってもいいこと、特に異論がないことをわざわざ言葉にするのではなく、「そのような世界を当社にとって実現できるとしたら、そのとき当社の事業はどのような姿なのか?」ということありありとイメージできるよう言語化することです。
つまり、もっと自社の事業のカタチとしてあるべき姿、目指すべき姿を落とし込む必要があります。
たとえば、「3年後に当社はどうなっているべきか?」と考えてみるのです。
3年後にはどんな商品・サービスを打ち出していて、
それはどのような顧客にどれくらい売れていて、
そしてそのときの組織体制や販売チャネルはどうなっているか?
といった、経営者として必ず実現したい自社の姿を極めて具体的に想像してみましょう。「実現できたらいいなあ」といったふわっとしたものではなく、「必ず実現したい!」、「これができないとやっている意味がない!」と思えるような、経営者として一区切りと思えるゴールとなるものです。
これを当社では「事業の一丁上がりの姿」と呼んでいます。
この一丁上がりの姿をありありと具体的にイメージすることができれば、2つの大きなメリットを得ることができます。
まずひとつ目として、『自分を乗せることができる』ということです。
経営者といえども日常の業務上のできごとに振り回されることも多く、ついつい視点が下がり、目先のことしか考えられない状況になりがちです。特に業務が仕組みで廻っておらず、社長自らが手を下さないといけない状況が多発する会社では一層そうなる傾向にあります。
そのような場合でも、経営者が常に会社や事業の「出来上がりの姿」のイメージを持っていれば、自らの気分を盛り立て、その実現に向かって自分を奮い立たせることができます。
別の言い方をすれば、「自分たちが何をしようとしているのか」という本来の目的に立ち返ることができるということです。
会社のトップたる社長が本来やるべきことは、会社が進むべき道を示し、社員を動機づけ、その実現のための環境を整えることです。しかし、皆をリードするはずの社長が自分で自分を乗せられていないとしたら、どうやって社員の気持ちを乗せるのか、という話です。
社長が会社として目指している姿、事業の目的に気づき、その達成に執念を燃やすことができたなら、そのエネルギーはいやでも社員に伝播し、彼らを鼓舞することにつながります。社長は顔を上げないといけないということです。
そしてもう一つのメリットは、『打ち手の精度が上がっていく』というものです。
会社が目指す姿が明確になったあとにいま社員たちが実行している打ち手を見直してみると、それだけでは不十分だということに気づくことが多いものです。
そうなれば、ゴール達成のためには本当は自分たちは何をやらないといけないのかと、ゴールから逆算された打ち手を設計する発想になっていきます。
つまり、目的と手段の関係が明確になるため、いま自分たちが日々実行していることはあくまで手段であり、それがつねに目的に沿っているかという目で見れるようになります。
そして、個々の打ち手はあくまで目的達成のためにやっていることですから、「あれが駄目ならこれで」と、打ち手の選択にも柔軟さが出てきますし、結果的に「粘り強い組織」となることができるのです。
こうなると、ゴール達成の過程で必ず経験する打ち手レベルの失敗に一喜一憂しなくなります。チャレンジしているのだから失敗を経験するのは当たり前であり、失敗したのならまた修正して再チャレンジすればいいだけ、と考えることができ、この「いい意味での気持ちの軽さ」が社員に行動を促すことにつながります。
登山をするのに山頂を見ることもなくひたすら目の前の坂を上らせてしまうと、社員の心は疲弊してしまいます。
そしてそれは組織に疲労感や悲壮感を生み出し、もう進めないと立ち止まる者も生んでしまうことでしょう。
あるいは、経営ビジョンだと言ってふわっとした言葉ばかりを社員に聞かせていたら、目指すべき山頂は雲のはるか上に隠れてしまい、彼らがそこまで登ろうという気持ちを持つことが難しくなってしまいます。
御社は目指すべき「一丁上がりの姿」を社員に具体的に示せていますか?
あいまいなビジョンで社員を迷子にしていませんか?
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