クロージング率をアップ!戦国武将・藤堂高虎に学ぶ営業テクニック
「なかなか契約が取れない。どう営業したらいいのか……」
実は営業が苦手な会社は多く存在します。長年下請けを続けていた会社などどのようにクロージング、つまり契約締結をすれば良いのか分からず右往左往。もっと営業テクニックがあれば、もっと会社の魅力が広く伝わるのに残念なことです。
こんな時は、戦国武将の藤堂高虎の生涯から営業テクニックを学んでみましょう。高虎は織田信長や豊臣秀吉、徳川家康の三英傑ほど有名ではありませんが、とても有能で機転の利く人物。しかも、自分の売り込みが上手なのです。
今回は足軽から津藩30万石の藩祖にまで出世をした藤堂高虎から、営業テクニックについて考えていきましょう。
■藤堂高虎は自分の能力を信じた
藤堂高虎が売り込み上手だと判断する理由に、7回の転職があります。その内、4回は15歳から21歳の間ですから、かなりのハイペースです。同僚と喧嘩をして出奔したこともありますし、禄(給料)が低いと3ヶ月で辞めてしまったことも。
戦国時代、どこも人手不足ではありますが、誰でもすぐ雇ってもらえるわけではありません。足軽など雑兵であれば雇ってもらえる可能性は高くなりますが、武将としてなら今でいう管理職ですから誰でもとはいきません。
ですから、高虎にも浪人時代がありました。そんな時でも腐らず、自分の能力を理解し信じた点が高虎の強さです。妥協をせず、自分の能力を大切にしてくれ伸ばしてくれる主と出会うまでこだわりました。高虎の場合、豊臣秀長(秀吉の弟)が自分にとって最適な主だったらしく、秀長が他界するまで15年間仕えています。
この高虎の信じる心を、営業テクニックのない会社に知っていただきたいのです。失敗する営業で多いものに、自社製品を完全に理解せず信頼しきれていない営業マンの存在があります。自分で分かっていなければ、相手にも良いところを伝えることはできません。
自社について理解し信じることが、営業テクニックのいろはの「い」といえるでしょう。どのようなものであっても、マッチする場所はあります。根気よく探していきたいものです。
■藤堂高虎は現場主義
藤堂高虎は7回転職をし、8人の主がいる武将です。8回も面接を突破している理由に、徹底した現場主義である点が挙げられます。面接の際、いくら口頭で「自分はこれだけの武功を上げた」と言ったとしても、当時は証拠を持ち歩けませんよね。でも、高虎には大きな証拠があったのです。それは体中の傷です。
何と身長が190cmもあった高虎の体は、鉄砲や槍でついた傷でギッシリ。綺麗な肌は見当たらないほど。手足の指も短くなっているものや、爪のないものがあったそうです。これを見れば、いかに高虎が優れた武将であるかが一目で分かったのです。
これだけの傷を負いながら、今も尚命があるという点だけでも優秀な武将だと分かります。加えて、最前線に出ることを厭わないということも傷から見えてきます。この現場主義は若さが失われてからも続きます。高虎59歳に起きた大坂夏の陣でも、最前線に立ち武功を上げています。
つまり、高虎に机上の空論はなかったのです。現場を知り、実践している。これほどの強みはありません。どれだけ自分はできるのかをよく知っていたからこそ、売り込みも上手くいきました。
貴社には現場を知らず、パンフレットだけで商品やサービスを知ったつもりになっている営業マンはいませんか?これでは、いくら売り込んでも相手には響きません。これでは営業テクニック以前の話です。
■藤堂高虎は誤解を受けても目的を達成しようとした
7回転職をし8人の主がいる藤堂高虎は、最後の主である徳川家康の他の家臣には評判の悪い武将でした。いわく「7回も主を変えるのは不忠である」と。
しかし、高虎は自分の能力を買ってくれ、信じてくれた主に対し不義理を働いたことはありません。むしろ、とても忠義の武将といえる人物なのです。それは最後の主である徳川家康のいまわの際、唯一接見を許された外様大名であったことからもうかがえます。忠義者であるからこそ、家康も心を許したのです。
この高虎の忠義の源は、自分の能力を信じ伸ばしてくれた人への恩です。恩返しが高虎の生きる目的といえるでしょう。この目的を最初に与えてくれたのが豊臣秀長です。
高虎は若いころ、周囲とトラブル続きでした。同じ場所に居続けることも難しく、何度も主君を変えています。居場所がなかった高虎に居場所を作ってくれたのが、豊臣秀長なのです。とても嬉しかった筈です。居場所と生きる目的を得た高虎は、雨後の筍のようにグングンと伸びていきます。秀長の死後は、同じく自分の活躍する場を与えてくれた徳川家康にも忠義を誓っています。
このように目的があると人間は成長が早くなります。そして、精神的にもとても強くなります。貴社の営業マンにはノルマ以外の目標はあるでしょうか?数字の向こう側にある目的を示さず、ノルマばかりを追うようでは上手くいきません。
■藤堂家の家訓は「寝屋を出るより其日を死番と可得心かやうに覚悟極る」
今回は藤堂高虎の人生から営業テクニックについて考えていきました。最後にもう一つ、あなたに知っていただきたいことがあります。それは高虎が子孫に残した家訓です。200条にも及ぶ家訓の中から、第1条は現代だからこそ心に刻みたいものです。
その第1条とは「寝屋出るより其日を死番と可得心かやうに覚悟極る ゆへに物に動する事なし 是可為本意」というものです。意味は「寝室を出た時から今日が死ぬ日だと覚悟を決めると、物事に動じなくなる。本来こうあるべきだ」。千利休の「一期一会」にも通じますね。
時間に捨てるべきものはありません。常に「今」を大切にし、何があっても動じず信じる道を行く。これこそが藤堂高虎が足軽から大名に出世をした最大の理由でしょう。この教えは、生き馬の目を抜くビジネスシーンでも生きるものだと確信しています。
貴社の信じる道はどのような道でしょうか。その道が見えないまま進んでも、どんどんと本道から外れていくばかりです。道に迷いそうな時は私に声をかけてやってください。一緒に大きな地図を描いていきましょう。
最後まで読んでくださり有難うございます。
あなたの一日が素晴らしものでありますように。
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