社長の「情報発信」は自らハードルを上げなければならない―文学的素養の必要性を考える―
私はこれまで「情報発信」の大切さやその現代ビジネスにおける効果などを、時代が要請しているその背景や発信のテクニックまでを含めていろいろな形で述べてきました。
ここでそろそろ、こういった「情報発信」の「質」について考えてみたいと思います。
というのは、私がこれまで述べてきた「情報発信」とは別に、現代経営に極めて必要かかつ重要な要素として、哲学、美学、或いは美意識というものが求められ始めているからです。
これは何も学者さんが、自分の得意分野に引き込もうという意図で言い始めたことなどではありません。多くの経営者自身が言い出していることなのです。
それは、効率性や合理性、それを支えるテクノロジーというものが極度に発達してきた結果、様々な障害が起きているからです。
少し古い話になりますが、百貨店「そごう」を一時期の経営危機から救い、日本一の店舗数まで引き上げた水島廣雄氏などはそのよい例でしょう。彼が経営者としてのカリスマ性を誇った全盛時代は、一度の講演をするだけで外国からの聴講者を含めて会場は立ち見が出るほどの盛況だったと伝えられています。しかし、バブル崩壊の後、そのビジネスモデルが「そごう」の実質的な倒産を招いたのだ、と一転して水島氏の評価は地に落ちました。彼に経営哲学があったのかなかったのか、いまだに意見の分かれるところですが、少なくとも、効率性を極限にまで追求した拡大路線は破綻したのです。
近年では、やはり経営破綻した「東芝」を、哲学なき経営のサンプルとして取り上げることができます。今では散々やり玉に挙げられている東芝ですが、数年前までは優れた経営管理や指名委員会の設置などの手法で、企業統治の優等生としてマスコミから誉めそやされていたのです。その東芝は、目標達成できない業績報告をねじ曲げるために、「粉飾決算」という禁断の領域に手を染めてしまいました。
そのほかにも「三菱自動車」にしてしかり「電通」にしてしかり、といった状況です。これら有名企業は、その経営手法や企業統治において、日本を代表してきた企業でした。何故こんなことになったのでしょうか。
その原因についてはいろいろな分析がなされていますが、大きな要因として「哲学なき経営」「美意識が欠如した企業統治」といったことが言えると思います。
ここで、「それは私からは遠い大企業のことで、自分のところみたいな中小企業とは関係ない話だ。」と思わないでいただきたいのです。これまで日本経済において、いろいろな意味で時代をリードしてきた大企業ですが、「悪いサンプル」としてもまた参考にする必要がある、と私は考えます。「悪いサンプル」というのは経営破綻したり、コンプライアンス違反で起訴されたりと、まさに反面教師としての事例になるわけですから、これを勉強しない手はありません。
さてそこで、巷間言われている「哲学なき経営」「美意識なき経営」ですが、これを避け、逆に「哲学」や「美意識」を身につけるにはどうしたらいいでしょうか。
私はその最適な手法は「情報発信」だと思うのです。
これは何もこじつけで言っているのではありません。
「情報発信」には、これまでも述べてきた通り「言葉」が必要です。
「言葉」で何かを表現し伝えるという行為は、効率性や合理性とは真逆にあるものです。自分の伝えたい「何か」を、ときには歯がゆい思いをしたり、まだるっこい思いをしたりしながらそれを乗り越えて「言葉」に表さなければなりません。そのプロセスで自分を深く振り返ったり、自分なりのものの考え方が整理されたりするのです。
このことは、今まで私がお伝えしてきた通りです。
「情報発信」には、自社の販売促進につながる、という極めて現実的な効果があると同時に、経営者がそれを続けることによって、自らの「哲学」や「美意識」もまた磨かれると思います。
それは結果的には自社企業を良い方向へもっていくことにつながるのです。
さらにここで一つ大事な提案があります。私はこれまで経営者の「情報発信」には専門性や自社のストーリー、最低限自分のビジネスに関係あることが大事ですよ、とお伝えしてきました。
そして、これにできることならば「文学的味付け」を意識してみてはどうか、とご提案したいのです。
とはいえ、これは少し難しい提案です。何をもって「文学的味付け」と言えるのかは、ひとことでは表現できないからです。少しずつ意識してみてはどうか、程度の言い方しかできません。
一点だけ分かり易い例を挙げれば、「比喩的表現」に精通する、ということになります。
特に経営者の「情報発信」の場合、専門性を伝える必要がありますので、下手をすれば素人にはよくわからない世界を解説しなければなりません。そういったときに「比喩」というのは、大きな力を発揮します。
例えば、私の会計事務所の業務において
「経営改善計画の策定は、数字に強く細かい経費にまで気を配るような経営者と数字には弱いが営業面では大いに前向きな経営者とでは、その作成プロセスにおいて対応の仕方を変えていく必要がある。」
という文章があったとします。これをもっと分かり易く表現すれば
「経営改善計画に取り組むときは、まじめで実直なドイツ人気質(かたぎ)の経営者と、ちょっとアバウトなラテン系イタリア人気質の経営者とでは、一緒になって作るにも一工夫ひねりを加える必要がある。」
と書けば、より目に浮かぶように伝わるのではないでしょうか。
もちろんこれは、ある程度「情報発信」に余裕ができてからの話で、最初からこんな風にハードルを上げる必要はありません。
ただ、大事なのは「情報発信」を続けることによって、冒頭に挙げた不祥事を起こしてしまった大企業のような「美意識なき失態」はかなり防げるのではないか、ということなのです。
そして、それには「文学的な側面を意識する」ということが、大いに役に立つということもぜひ知っておいてもらいたいのです。
「情報発信」に想定される様々な力。これを大いに意識して前向きに取り組んでもらいたいと思います。
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