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自由であるはずの社長を縛りつけるもの

SPECIAL

キラーサービス(特別対応の標準化)コンサルタント

株式会社キラーサービス研究所

代表取締役 

経営革新コンサルタント。イレギュラー対応を標準化することで、ライバル不在で儲かる、「特別ビジネス」をつくりあげる専門家。倒産状態に陥った企業の経営再建から、成長企業の新規事業立ち上げまで、様々なステージにある数多くの企業を支援。イレギュラー対応を仕組みで廻して独自の市場をつくりだす画期的手法に、多くの経営者から絶大な評価を集める注目のコンサルタント。

前職の商社時代の先輩で、現在はその商社の子会社で社長をしている方と久々にお会いし一献傾けたときのことです。その方が語る「我々社長がやるべきことは~」というセリフに違和感を感じました。

確かにその方は大企業の子会社といえども一つの会社(法人)の社長です。しかしながら、その方を「社長」とみなすことに違和感を感じたのは、企業の子会社の社長というのは「創って作って売る」の事業サイクルのワンセットについて責任を負わない場合が多いからです。

例えば、製造子会社であれば「作る」だけ、販売子会社なら「売る」だけ、といったように責任の範囲が限られており、事業全体の意思決定についての権限を持たない。それがゆえに普段仕事でおつきあいをしている「社長」とは大きく異なると感じたわけです。(もちろん、子会社の社長という仕事自体を否定しているわけではまったくありません。)

逆に言うと、独立起業の社長という立場は、事業のすべてにおいて責任を負います。市場選び、商品企画、製造や調達、販売、そして資金調達などの資本政策に至るまで、すべて社長の責任です。

さらに言うと、業績が悪化したとしても、景気のせいにも、業種業界のせいにも、部下のせいにもできません。すべて社長のせいです。故一倉定氏が「電信柱が高いのも、郵便ポストが赤いのも社長の責任である。」と述べたとおりです。

そして責任と権限は表裏一体の関係ですから、社長はすべての意思決定についての権限がある。つまり社長は「自由」ということです。

しかしながら、そんな「自由」であるはずの社長をきつく縛りつけるものがあります。

それが『コード』です。

コードとは、その人が持つ「常識」とか「正しいと思っていること」といったものです。

経営者とはこうあるべきだ。

これがこの業界のやり方だ。

うちの業態だと利益率はこれぐらいだ。

そういった、経営者のコードや、業種・業界のコードに無意識のうちに縛られ、自由に思考しているつもりが、どうしても発想が偏ってしまうのです。

たとえば製造業の社長であれば、いわゆるQCDの発想、つまり「いいものを、より安く、やり早く」の発想から抜け出して考えられないため、カイゼンとか5Sとか、そういった内向きの打ち手にしか目を向けず、事業戦略が丸々抜けてしまう。

こうなると、本来事業のすべての意思決定の自由を手にしているはずの独立起業の社長といえど、実態は大手の子会社の社長と変わらないということになります。つまり、やっていることは製造業なら工場長、販売業なら営業部長のやるレベルにとどまっているということです。

こういった事業の「部分最適化」の発想に終始する社長が考えられていないことがあります。それが世の中に対する「企て」です。

「企て」とは「こういう事をしようと思いつき、計画を立てること」です。つまり、世に向けて企画や提案を投げかけることです。その会社ならでは「企て」が「面白い!」「助かる!」「他にない!」と受け入れられたときにはじめて儲かる事業が成り立ちます。

この「企て」、つまり自社発の「企画提案」がないまま、自社の設備や技術に関するの能力(品質やキャパシティなど)ばかりを訴えているのが多くの製造業です。

当社なら〇〇ミクロンの薄さまで加工できます。どんな素材でも対応できます。最新のドイツ製機械により〇〇水準の精度が出せます…などなど。

あるいは、「お客さまのどんなご要望にもお応えします。」といったアピールも同じです。

こういった、「能力」をウリにする場合に起こること、それが自社の「実質下請け化」です。契約上は元受けと下請けという関係ではないのですが、実際はお客様が「企て」を握っているため、お客様にある意味「便利使い」されたり、振り回されたり…。そして価格交渉力も当然「企て」を持っているお客様にありますから、よほど突出した能力をもっていないと、価格も叩かれてしまいます。

つまり、高い能力を持ち、お客様のために一生懸命仕事をしても、しんどい割に儲からないということになります。しかも、お客様の言う通りにこなすということは、言うなればお客様の想定内のことしかやれていないということですから、真にお客様のためになっているとも言えないわけです。

経営とは「外部」に対応するものであって、企業の「内部」に対応するものではありません。カイゼンや5Sといった内部施策にいくら精を出したところで、お金を生む事業にはなりません。お金は会社の外に落ちているのです。

サルトルの言葉を借りると、経営者は「目も眩むほどの自由を手にしている」と同時に「自由の刑に処せられている」とも言えます。つまり自由であることは苦しいのです。親会社に「製造だけやっておれ」と言われる方がよほど気が楽です。

しかし、経営者は企業家、つまり企てを起こすことが生業です。世の中に対して仕掛けていくのが経営者の役目です。

自分がどんなコードにまみれているかに気づき、そしてそのコードを捨て去り、自社ならではの企画提案を世にぶつけていきましょう。

社長の挑戦をどこまでも応援しています。

 

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