親子経営 富者は驕り貧者は怨む
『論語』を読んでいるとときたま思わずハットすることがあります。妙に本当にそうだと思わず納得してしまうことがあります。今回はそんなひとつをご紹介します。会社を長く経営していると何度か業績の浮き沈みを経験します。
なかには沈むことなくずっと順調に右上がりできたという経営者もいることでしょうが、多くは好不調の波を経験すものです。経営者はそのたびに一喜一憂してしまいます。経営者たる者少々のことで動じてはいけないと云よくわれます。
しかしながら我々凡人である経営者にとって業績の良し悪しがどうしても気持ちや気分に大きな影響を及ぼすことになります。そして業績が好いときはそれこそ天下を取った気分にまでなる経営者もいることでしょう。
その反面、業績が落ち込みだすとそれまでの浮いた気持ちがいっぺんに消し飛んでしまい、あれやこれやと悩むことになります。揚げ句には業績が悪くなったのは取引先が悪いからだと言ったり、社員たちの営業努力が足りないからだと言ったりするようになります。
さてここで『論語』より一章句ご紹介します。
「子曰く、貧しくして怨無きは難く、冨みて驕る無きは易し」(憲問第十四)
私なりに訳しますと、「孔子が言いました。貧乏な生活をしながら他人を誹りまた咎めたりするといった、人を恨む気持ちを持たぬということはなかなか難しいことだ。これに比べれば裕福な者が驕り高ぶったまねをしないことの方がまだたやすいことだ」となりましょう。
さらに私なりに超意訳をしますと「経営者は逆境に会い窮地にあるとき社員を誹ったり取引先を恨んだり、また同業者を妬んだりしないということはなかなかできることではない。これに比べると経営者が好調なときに驕り高ぶりを自ら戒めることの方がまだたやすいことだ」ということになります。
私の経験からすると実は経営者は業績が好調なとき増上慢にならず自らを戒めることはそう簡単なことでなく、とても難しいことだと思っています。自分自身がそうであったから余計にそう思っているのかもしれません。
経営者に限らず人というのは浅はかなもので愚かなものです。少し自分の運気が上向き何をやっても上手くいくといったとき、心に隙ができどうしても自分に甘くなってしまいます。そして自ら墓穴を掘るようなことをしでかしてしまいます。
盛者必衰の理とはよく言ったものです。人は好調時に不調に至る種に気づかず逆に不調の種をどんどん植えてしまっています。気がついた頃には不調の芽があちこちから顔を出していることになります。
一方孔子様が言うように人は不遇なとき、ついつい上手くいかないことを他人のせいにしてしまいます。そのうえ周りの人たちにあたりちらし恨んだりします。そして決まって、人を羨み最後には妬んでしまいます。
孔子の時代の貧者というのは現在と比べようもなくとても悲惨な状況であったことは確かです。そして圧倒的多数が貧者であり富者は極僅かであった訳です。日々まともに食べるものがなくいつ飢え死にするかもしれない多くの人たちを目の前にしていた孔子の実感であったのは間違いないことです。
孔子が最も愛した弟子は顔回といいます。顔回は常にいかなる時も陋巷で暮らしたといわれています。今でいう貧民窟のようなところであばら家に住み粗食で一生通したといわれています。そのせいもあり若くして亡くなりました。
顔回はそんななかにあって礼を重んじ仁に足る生涯を送ったと孔子は弟子でありながら顔回を敬うこと人に憚りませんでした。顔回を知るからこそ孔子の初めの言葉になったのだと思われます。
経営者として成功と失敗を経験した者として私が言えることは、経営者は好調時にこそ気を付けて己の言動を日々省み改めなさいということです。経営者が階段を踏み外すのは正に好調時にあります。本当に簡単に転んでしまいます。
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