No.065 指先が何を語るか
言葉というものは、人と人をつなぎ、あるいは人の心を捉え、または重要な情報を伝えるために極めて大きな役割を果たしています。
このため、当コラムにおいても、言葉の問題に何度か触れてきました。(No.012 「たかが言葉、されど言葉」 No.046 「言葉が軽すぎる・・・」 No.043 「たかが言葉、されど言葉」再び )
しかし、何かを語るのは必ずしも言葉だけではありません。
背中が語ることがありますし、私は疎くてよく怒られるのですが、女性は髪をかきあげる仕草でいろいろ語るのだそうです。
ペットを飼っている方はよくご存じですが、犬などは目で一生懸命に何かを語りかけてくることがあります。
今回は、指先が何を語るのかについてです。
私はかつて海上自衛官でしたが、ある時、憂慮すべき事態に気が付いたことがあります。
それは女性自衛官が増えてきたのに合わせて、部隊内で「お疲れ様です」という挨拶が多くなってきたことです。
海上自衛隊は、朝8時までは敬礼をしながら「お早うございます。」と挨拶しますが、それ以後は黙って敬礼だけする習慣を持っていました。
ところが女性自衛官が増えてくると、いつでも「お疲れ様です」と声を掛けられるのです。
そのうちに女性自衛官だけではなく、若い隊員がみなそう言うようになってきました。
例えば、深夜、当直の交代で艦橋や戦闘指揮所に向かっている時、当直を終えて戻ってくる若い隊員とすれ違う際に、「お疲れ様です」と敬礼されるのです。
ある部隊に指揮官として着任してみると、この「お疲れ様です」という挨拶が日常化していました。女性自衛官の割合が多い部隊だったのですが、いつどこで敬礼されても「お疲れ様です」なのです。
私は危機感を覚えました。自衛隊は芸能界ではありません。「お疲れ様で~す。」というような挨拶がまかり通っていいはずがないというのが私の思いでした。
たまりかねて女性隊員を集めて聞いてみました。
するとびっくりしたことに、入隊教育を受けた部隊で、「女性は黙りこくって敬礼するのではなく、優しい言葉を付け加えよ」として「お疲れ様です」と言い添えることを指導されたのだそうです。
宝塚の歌姫たちは「清く、正しく、美しく」を合言葉に育てられるようですが、海上自衛隊の女性自衛官は「強く、正しく、麗しく」を合言葉に入隊教育を受けます。
私は、厳しい戦闘配置に就いて男子隊員と同じ責任を負わされたとしても女性であることを忘れてはならないという教えに反対するものではありません。
しかし私は、この浅はかな指導に言葉を失いました。
入隊教育を担当した教官たちが「挙手の敬礼」の意味を理解していないのです。
海上自衛官はすれ違う時の挨拶も、部隊への着任の申告も、挙手の敬礼で行います。
国旗の掲揚降下時も国旗に対して敬礼を行いますし、転出していく隊員を見送る時も挙手の敬礼です。
そして、私は幸いにもやったことはありませんが、二度と帰って来れないかもしれない任務に出撃する部隊を見送る時もこの敬礼で送り出すことになるのです。
在職中に何万回の敬礼をしてきたのか分かりません。数多くの上司や先輩に敬礼をし、数多くの部下や後輩から敬礼を受けてきました。
その都度、敬礼や答礼をする指先にはいろいろな想いがこもっていました。
退官する上司を見送るときは、「ご指導ありがとうございました。お元気で。」という思いを込めますし、転出する部下を送る時には「新任地でも頑張れよ」とのサインを送ります。
教育部隊の指揮官として、毎朝の課業整列時に総員の前で台に上がる際には、若い隊員たちが一斉に「お早うございます」と元気に敬礼してくるのに対して、こちらも思い切り元気に「おはよう!!」という敬礼を返していました。
殉職した同期生の棺を見送ったときの敬礼は指先が震えていたかもしれません。
それほど、敬礼の指先にはいろいろな想いや覚悟がこもっているのです。
女性らしい優しさを示すのであれば、女性の優しさのこもった敬礼をすればいいのです。
もともと海上自衛隊は、余計なことは言わず、黙っていても、誰も見ていなくてもやるべきことはしっかりとやるという伝統を大切にしてきました。誰も見ていない洋上での戦いが本業だからです。
敬礼も海上自衛隊では黙って行うのが原則なのですが、朝の挨拶くらいはすべきだろうということで国旗掲揚までは「おはようございます」という挨拶をすることが例外的に習慣となっていたのです。
それが「お疲れ様で~す」でその伝統が破壊されそうになっていると危機感を抱きました。
ついに私は指揮官の強権を発動しました。
「お疲れさまです」禁止令を出したのです。
疲れて帰ってきた者に「お疲れさまでした」と声をかけるのはいいが、そうでない場合の「お疲れさまで~す」を禁止したのです。
我ながらつまらない指示を出しているものだとうんざりしていました。
その思いが理解されるのには時間がかかりましたが、私は愚直に「俺たちは芸能人ではない」と言い続けました。
半年ほどたったある日、かつての上司がある大手企業の顧問となり、勤務先の社長の挨拶のために私の部隊に尋ねてこられたことがありました。
帰り際、その元上司がふと戻ってきて、「君のところの隊員は、いい敬礼をするなぁ。」と一言残していきました。
私が言い続けてきたことを部下の隊員たちが理解してくれていたことに気が付いた瞬間でした。分かる人が見ると分かるのです。
モノを語るのは口だけではありません。目も指先も語りますし、髪をかき上げる仕草で語ることもできるのでしょう。(私には通訳を通さないとダメかもしれませんが。)
経営トップは眉で語ることがあります。と言うより、眉がモノを言ってしまうことがあるので、十分に気をつけなければなりません。
社長の意思に関係なく、眉のほんの数ミリの動きが、部下を元気づけたり、傷つけたりするのです。
感情はよほど気をつけないと顔に出てきます。特に眉には出やすいようです。
役者でもなければ、その動きを外に出さないことは難しいかもしれません。といって常に演技をしている訳にもいきません。
どうすればいいのでしょうか。
私はこの専門コラムの連載を始めた時に「指揮官の覚悟」という文章を掲げました。(https://www.jcpo.jp/archives/14916 )
ここには次のように書いてあります。「指揮官とは、誰よりも耐え、誰よりも忍び、誰よりも努力し、誰よりも心を砕き、誰よりも求めず、誰よりも部下を想う。」
この覚悟を持った指揮官は演技をする必要がありません。
眉の動きに気を使う必要もありません。自然体でいいのです。
この覚悟のない指揮官が見せてはいけない表情であっても、覚悟のある指揮官なら見せてもいい表情というものがあるのです。
トップは、指先だけも様々な思いを伝えることができることに思いを致さなければ、部下が付いてこないことを知らねばなりません。
(写真:海上自衛隊)
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