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専門コラム「指揮官の決断」No.052 未然防止が難しい理由

SPECIAL

クライシスマネジメント(想定外の危機への対応)コンサルタント

株式会社イージスクライシスマネジメント

代表取締役 

経営陣、指導者向けに、クライシスマネジメント(想定外の危機への対応)を指導する専門家。海上自衛隊において防衛政策の立案や司令部幕僚、部隊指揮官として部隊運用の実務に携わる。2011年海将補で退職。直後より、海上自衛隊が持つ「図上演習」などのノウハウの指導依頼を受け、民間企業における危機管理手法の研究に着手、イージスクライシスマネジメントシステムの体系化を行い、多くの企業に指導、提供している。

未然防止と再発防止とは意味が異なるということは皆さま百もご承知のことと存じます。再発防止だけでは事故の発生を防ぐことが出来ません。未然防止という発想が無ければ事故は無くならないのです。

しかし再発防止が簡単とは言いませんが、未然防止の難しさは桁が違います。

なぜでしょうか。

何が起こるか分からないからです。
 何が起きるか分からないので、対策をどう立てればいいのかが分からないのです。

しかし、それでも重要なことなので数多くの専門家が一生懸命に取り組んでいます。
 彼らがどう活動しているのかというと、徹底した再発防止に取り組み、そして、それらの事例から、将来起こり得るであろうおそれを抽出しているようです。
 私はこの分野の専門家ではありませんが、相当な分析能力が必要であり、かつ、それらの事例から得た教訓を組み合わせて新たな兆候を見出していく推理力も必要でしょう。

これがどれほど大変なことなのか、事例を挙げて説明します。

当コラムでは航空機の事故を時々取り上げています。
 航空機や船舶の事故は、危機管理の観点から視ると、教訓のかたまりだからです。

今回取り上げるのは、2014年12月28日に生じたインドネシア・エアアジア8501便の事故です。

同機はスラバヤのジュアンダ空港からシンガポールのチャンギ空港へ向けて離陸しました。42分後、ジャワ海に達していた同機は突如急上昇を始め、そして交信が途絶え、レーダーから機影が消えてしまいました。
 必死の捜索が行われた結果、1月7日、カリマンタン島沖で残骸が発見されて墜落が確認され、162名の乗客・乗員の全員が死亡しました。

この飛行機が墜落してしまった原因は、実に考えられないくらい些細なものだったのです。クリティカルなものは全くありませんでした。
 同機が墜落して162名もの人々の命が奪われなければならない理由はなかったのです。
 当日、同機が飛行していた空域は雷雨に見舞われており、同機は雷雲を避けるために高度を上げる許可を管制塔に求めていました。
 しかし、その悪天候を同機は避けており、これは原因ではありませんでした。

残骸を引き上げ、フライトレコーダーを解析した結果、分かった事故原因は驚くべきものでした。

同機の整備記録によると、同機のRTLUという装置に問題がありました。
 これは高速飛行中に方向舵が一方の側に大きく作動しないように可動範囲を制限するリミッターですが、この装置に問題があるとフライトコンピュータがコックピットに警報を鳴らすようになっています。
 ところが、この機体のRTLUは、過去度々不具合が報告されていたにも関わらず、根本的な整備がなされずに飛行が続けられていました。
 なぜかというと、フライトコンピュータが警告をした場合、パイロットはそのコンピュータの指示に従った処置を取ることになっているのですが、その処置を取ると警告が消えるからなのです。
 当時の整備に関する規則では、そういう場合には必ずしも臨時に整備することにはなっておらず、定期整備の際に処置を取ることになっていたからです。

フライトコンピュータの指示に従って措置をとることをECAM(電子式集中化航空機モニター)アクションといい、パイロットはこれに従わなければなりません。

ただ、このRTLUの場合、事故後に分かったことですが、RTLUの回路の半田付けに問題があり、回路が繋がったり切れたりしていたために警報がしょっちゅう鳴るということになっていたのです。

ジュアンダ空港を離陸してからもこの警報は頻繁に鳴り、パイロットはその都度ECAMアクションを強いられていました。
 ただ、このRTLUの不具合はそれほどクリティカルなものではなく、パイロットは淡々とECAMに従ってリセットし続ければよかったのですが、4回も鳴ったため、パイロットはイライラしたようです。
 そこで機長は飛行増強コンピュータ(FAC)のサーキットブレーカーをリセットすることによりこの警告が鳴らないようにしたのです。
 専門の整備士はこの回路を熟知していますので整備中にこの措置を取ることがあるのですが、飛行中にやってはならない措置でした。自動操縦が解除され、同時に失速防止装置も解除されてしまったのです。

この結果、機体が大きく傾いてしまいました。データによれば、10秒足らずのうちに50度以上傾いています。
 この時、操縦をしていたのは副操縦士であり、機長は席を離れてコックピット後部にあるブレーカ―のリセットをしていました。

ここからが問題です。
 一挙に機体が傾いたのに、パイロット達はその事実に気が付いていなかったのです。
 なぜでしょうか。
 平衡感覚は内耳内部の体液の水準によって保たれていますが、姿勢が急激に変わると水準が乱れて平衡感覚を失います。
 この状態は視覚によって補正されて元に戻るのですが、しかし時間がかかります。揺れている電車や船の上で人がヨロヨロとするのはそのためです。
 もしこの平衡感覚がもっと敏感に追従されれば、揺れている車内や船内でも人は平気で歩き回ることが出来ます。
 揺れる船内で犬は少しヨロヨロしますが、猫や猿は全く意に介さずに動き回ります。平衡感覚が異なるのです。

フライトデータによれば、この時の機体の傾き方はあまりに急でした。
 つまり、パイロットの平衡感覚が追従してこなかったのです。
 戦闘機などは凄まじく急激な運動をしますが、これはパイロットが意図的に行うので問題を生じないのですが、自動操縦装置が解除されたために不意にロールを始めたことはパイロットたちの意表を突いた動きだったのです。

この時のパイロットたちは、急激に機が傾いた時に何が起きたのかを一瞬理解することが出来ず、54度まで傾いてしまいました。
 そこで操縦していた副操縦士が慌ててもとに戻そうとして急激な動作を行いました。54度左に傾いた機を2秒で水平に戻してしまったのです。
 しかし、水平になった後も内耳の体液は慣性のために右に傾いているという信号を脳に送り続け、副操縦士はせっかく水平になったにも関わらず右に傾いたと判断しもとに戻すために左に傾ける操縦を行いました。
 彼らは元の54度左に傾いた状態が平衡だと感じたのです。
 この急激な動作でさらに平衡感覚に狂いが生じ、機体が降下を始めたと判断した副操縦士は機首を上げて急上昇に移りました。完全に混乱しているのです。

これらの機体の異常な動きのため、あらゆる警報がコックピットに鳴り響き、パイロットの混乱はますますひどくなっていきました。

この時、座席に戻った機長の指示が混乱に拍車を掛けました。
 機首が上り、急上昇を始めたことに気が付いた機長が「引き下げろ“Pull down”」と副操縦士に指示をしたのです。
 この指示が副操縦士をさらに混乱させたことは間違いありません。

この機体はエアバスA320であり、操縦はスティックタイプの操縦桿で行います。
 機首が上って急上昇しているのであれば、機首を下げるための指示を出さねばならず、それは「押し下げろ“Push down”」 であるはずです。つまり、高度に関する操縦桿の動きは「引き上げろ ” Pull up “」か 「押し下げろ “Push down”」 であるはずなのに、機長は「引き下げろ ” Pull down” 」と指示したのです。
 ただでさえ、混乱している副操縦士は「引け ” Pull”」 と指示されたために、さらに操縦桿を引き続け、機首はどんどん上を向いてしまい、結果的に失速してしまったのです。

さすがに機長も副操縦士に任せず自分で操縦しようとしました。つまり、操縦桿を押し下げて失速から回復させようとしたのです。
 しかし、副操縦士は逆の動作をしていたので、機体は機長の動作を受け付けませんでした。異なった操縦桿の動作が同時に行われると、フライトコンピュータは「double input」という警報を鳴らして昇降舵を中立位置に戻してしまうのです。

機長が副操縦士から操縦権限を引き継ぐためには二つの方法があります。
 一つは「私が操縦する。” I have control ”」 と宣言して、副操縦士に操縦桿から手を離させることです。
 もう一つは、操縦桿についているボタンを押して強制的に機長側の操縦桿側の操縦に切り替えてしまう方法です。
 機長は後者の方法を取ったことがデータから分かっています。しかし、2秒以上押さなければ切り替わらないのに、機長は十分な時間ボタンを押さなかったので、副操縦士側の操縦桿も機能していたのです。つまり、二人が正反対の操縦をしていたことになります。

結局8501便はジャワ海に墜落して乗員・乗客全員が亡くなってしまいました。

この事故からは様々な教訓が導き出されます。
 RTLUの不具合の放置、その不具合から発せられる警報への不適切な対応、その結果として生じた急激な機体の傾きによるパイロットの錯誤、機長の指示の不適切、機長の不適切な操縦交代手続きなど様々な不具合が組み合わさった結果大惨事となったのです。
 どれか一つが正しく行われていたらこの事故は起きなかったかもしれません。

これら個々の要素を潰していくのは、理屈上はそれほど難しくありません。不具合の原因が明白だからです。

しかし、冒頭で私は未然防止は難しいと述べています。
 そして、何が起きるか分からないからだとしています。
 実は、未然防止が難しい理由は、もう一つあります。

それは人間の本性に根差すものだからです。
 RTLUの不具合が放置されたのは経済性の観点からでした。些細な不具合でいちいち細かい整備をするのは大変なのです。

繰り返された警報にECAMアクションを丹念に行わず、ブレーカーを切断するという行為に出たのも、マニュアルや規則を徹底的に遵守するということが面倒なことがあるからです。

機体の急激な傾きに対する副操縦士の不適切な対応ややそれに対する機長の指示や操縦が不適切だったことは、訓練の不足や未熟を露呈しています。

私は危機管理に重要なことは、当たり前のことを手を抜かずに淡々と行うことだと繰り返し述べていますが、実は、これは恐ろしく困難なことなのです。

私たちは怠けたがり、できるだけ楽をしようとし、すぐに応用に走ります。人が見ていないと手抜きもします。
 お正月に一年の計を立てても、月末には忘れているのです。

当たり前のことを手抜きをせずに淡々と行うということが何よりも難しいことなのです。

未然防止が難しい理由はこの人間の本性にあり、その困難性をどう克服していくかが大きな鍵を握っていると思います。
 根本的な対策は専門家の手に委ねますが、危機管理の専門コラムとして指摘できるのは教育の重要性です。
 まず、繰り返し繰り返し、基本に忠実に従うように訓練を繰り返していくことです。
 基本から外れた行動をとることに違和感を覚えるようになるまで繰り返し訓練されることが必要です。
 また、基本から離れた応用動作に安直に走るような行動が直ちに是正されるような組織規律が確立されなければなりません。
 トップの基本に対する妥協を許さない一貫した態度が必要です。

経営者が自ら範を示さなければならないのです。

 

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