専門コラム「指揮官の決断」 No.026 危機管理に必要なイマジネーション
専門技術商社の営業部長として、一部上場企業の企画部門へ危機管理のための備品や通信システムの説明に行ったことがあります。この一部上場企業は、私が勤務していた商社の親会社で、横浜の南部に本社があり、神奈川県や長野県に工場を持ち、関連会社は全国に展開しています。
ある時、私が部長を務めていた営業部で危機管理関連の商材を扱っていることを聞きつけた親会社の企画部門から説明に来いという呼び出しがあったので、プレゼンテーションの資料を作って出かけて行きました。先方では、企画本部の幹部とリスクマネジメント部の部長をはじめとする親会社社員が待ち受けていました。
当時私たちが力を入れて扱っていたのは蓄電池であり、提案するのは災害発生時の照明など最小限の必要な電力を確保するとともに、太陽光発電パネルと組み合わせて電源喪失時に通信を維持する電力を確保し、通信衛星を使用した指揮システムを構築して大規模災害時の情報収集や指揮を行おうとするものでした。総勢2万数千名の社員を擁するグループ企業の親会社としては当然備えているべき機能だと考えていました。
太陽光パネルは実証実験も済ませ、畳大のもの2枚を軽トラックで運ぶことができるよう設計されており、災害時の通信用にはタイのNTTにあたる会社が運用している通信衛星が非常に安価に契約でき、年に数回の防災訓練などでも通信できるサービスがあることを確かめておりました。
また、親会社の本社が横浜南部の埋め立てられた工業地帯に所在することから、首都圏直下型地震が東京湾内を震源とした場合、津波の被害を受ける恐れが大きいこと、それでなくとも液状化の被害は免れないであろうことを考慮しましたので、ヘリコプターを運用する会社と契約をして、神奈川県内西部にある工場、もしくは長野県にある工場に本社機能を移す手段などについても検討をしておきました。
当日、これらについて一応のプレゼンテーションを行い、参加した幹部クラス社員の反応を待ちました。もともとこのプレゼンテーションは、親会社の専務が、子会社に危機管理が専門という営業部長がいて関連商材を扱っているそうなので話を聞けと企画本部の危機管理担当幹部に指示したことから始まっているので、彼らも興味津々で喜んで聞いているというわけではなく、むしろ、「元自衛官か何か知らないけど、子会社の営業部長ごときに我々が学ぶものなどあるはずがない。」というオーラで一杯のプレゼンテーションでした。
案の上、反応はほとんど、「林さん、そうは言うけどさぁ。」というところから始まり、否定的な見解が続きました。まず口火を切ったのは企画本部の危機管理担当幹部であり、「結局さぁ、蓄電池とかなんとか言うけど、いざという時に役に立つのは灯油のストーブなんだよね。暖かいだけじゃなくて、灯りも取れるし、煮炊きもできる。灯油は安いから買っておいてもそんなに負担にならないしね。蓄電池は充電できなかったらダメでしょ?」「だいたい、アメリカやドイツ、フランスだって通信衛星は運用しているだろうに、なんでタイなんかの衛星を使うんだ?」「ヘリコプターを使ったエバキュエーションなどは高いし大袈裟。うちはみなとみらいのランドマークタワーに営業部を置いているから、そこに移る。」ということでした。
私は、真夏に震災が発生した場合にも本当に灯油のストーブを入れるつもりなのか、ストーブでどうやって通信を確保するのか、携帯電話やタブレットPCの充電はどうするつもりなのか、国内の支店や関連会社との通信を確保しようとするのにアメリカやヨーロッパの上空にある衛星でどこと通信するつもりなのか、本社が津波や液状化で機能を喪失するときに、より東京に近い埋め立て地であるみなとみらい地区がどうなっているのか想像することすらできないのか、そもそもそこまで液状化した道路をどうやって移動するのかなどを尋ねることは控えて戻ってきました。
これは私が営業部長になってすぐのことでしたので、親会社の危機管理能力の低さに唖然としたのですが、それがその会社に特異的なものなのだろうと思っていました。しかし、その後、営業部長としていろいろな会社とお付き合いをするうちに、私が考えている危機管理と企業一般の担当者の考える危機管理に大きな開きがあることに気が付きました。
危機管理の最前線を経験したことのない担当者が、一人でいくら机の上で考えても先に述べたような議論にしかなりません。テレビで観た光景でしか事態を考えることができないのです。東日本大震災では雪交じりの寒さに避難所の方々が耐えている映像が何度も映し出されました。現場を知らないと、そのイメージだけで考えるようになります。夏の暑さに灯油のストーブを入れるとどういうことになるのかについては思いが及ばないのです。消防庁の防災課長を経験した内閣府政務官ですら東北地方を襲った台風被害で、現場の足場がどのようになっているのかのイマジネーションが全く無く、長靴を持っていかずに職員の背中を借りて道を渡る始末です。
私の親会社は、まだ専務が子会社の専門家に聞けという指示を出しただけ上等だとも言えます。担当者が気付くチャンスはあったのです。ただ、担当の幹部社員に子会社の部長ごときから教わるものはないという驕りがあったため、そのせっかくの機会を逃してしまっただけなのです。
専門のリスクマネジメント部門がある会社は多いのですが、その部門長にお目にかかると、経理畑出身であったり総務一筋であったり、あるいは工場の安全管理部門に長くいた方であったりすることが多いのに気が付きます。
これらの専門を持った方々は、その専門分野のリスクについてはそれなりの知見をお持ちです。経理出身の方はファイナンシャルリスクに強いとか、工場出身の方は何が危険分子になるのかを理解しているとか、それぞれの専門分野についての知見をお持ちです。
それは非常に重要なことで、しっかりとした専門分野を持つ方は、危機管理全般を見なくてはならない配置になっても、その専門的な知見を基にした類推がある程度できるのです。少なくとも、他の専門家の意見を聞く耳と理解する力をお持ちです。
しかし、そのような現場を経験したことのない担当者は、自分の認識が机上のものにとどまっていて、現実を説明できていないことに気が付きません。これに気が付くようにするためには、専門家のアドバイスが必要です。一度気が付けば、それでは危機管理上の事態においてはどのようなことが起きるのかということについてより現実的に考え、研究し、わからないところを突き詰めようとする態度に変わっていきます。私たちは、この気付きを与えるのが我々コンサルタントの役目だと考えています。
気付きを与えられた担当者は何をすればよいでしょうか。所詮、現場経験がないので危機管理上の事態を実態に近い状態で想定することなどできないのでしょうか。
私たちがお薦めしている訓練方法に「図上演習」という手法があります。これは指揮官と幕僚に頭の体操をさせるための手法ですが、危機管理上の事態のシミュレーションを行うためにも使うことができます。
例えば、先の例で、本社が津波や液状化でその機能を喪失したという想定が出された場合、その対応措置を「図上演習」で検討すればどうなるでしょうか。みなとみらい地区へ移動するという指示が企画本部から出されたとしても、車両を運行する部門から、液状化した道路で車両を運行することはできないのではという疑問が呈されるはずですし、みなとみらい地区の営業部からは、当方も津波被害を受けているおそれがある旨の報告がくるはずです。
つまり、気付きさえ与えられれば、地に足がついた現実的な議論を展開することが可能となるのです。多くの企業ではまだこのような段階にいたっていないのではないかと恐れているところです。
皆様の組織で、危機管理が担当者の狭い想像力の範囲内でしか考えられていないのではないか、もう一度確認してみる必要があると思います。
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