社員に「優しい会社」は偽善である
「世間では、社員に優しい会社が評価されています。でも、私にはどうもその風潮に抵抗があります。どう思われますか?」
この間、関与先企業の社長さんから、意見を求められました。
それが、なんと1週間で3社もの社長さんや幹部から、似たような質問で意見を求められたので、ちょっとビックリ。
最初は、あまり深くは考えていなかったのですが、3社も続けば自然と真剣に本質を見つめなければ…と思い、過去の経験を振り返りながら、本質をえぐり出してみました。
そもそも論として、企業にとっての目的はなんでしょうか?
価値の創造、働く場の提供、社会貢献など様々な捉え方がありますが、本質論から見れば「価値の提供」であるはずです。
ドラッカーも、経営の目的は《顧客の創造》であると述べています。
《顧客の創造》というと、小難しく感じますが、平たくいうと「新しい価値を提供し、その価値によって満たされる人を探し・つくること」と言う事になります。
従業員が働きやすい職場をつくることでもなく、社員が成長する場を提供するのが、会社の存在意義ではないはずです。
もちろん、「結果」としては、成長する場にはなりますし、結果を出す為に、「手段」として働きやすく場を提供するは、大事です。
でも、それは決して目的ではありません。
ここを踏み違えるから、「社員に優しい会社は素晴らしい」などと誤解が生じるのです。
20年以上まえに上梓され大ベストセラーとなった「ビジョナリカンパニー(永続する、真に卓越した企業の条件を研究した著書)」でも、成功している企業は、「自社の厳しい基準に合わない社員や合わせようとしない社員が働ける余地が少ない環境・雰囲気を作っている」と研究成果を発表しています。
だれにとっても働きやすく良い職場ではなく、その企業の考え方を心から信じて献身的になれるものは、本当に気持ち良く働けるし、成果をあげることも出来ている…とも分析していました。
まさに、その通りです。
価値を生み出す、それを伝え、顧客になってもらうプロセスに、働く人はそれそのものに魅力を感じていなければ、そこにいる価値がありません。
自分の給与が欲しいからぶら下がっているような人間は、会社のためにも、本人のためにもなりません。
サッサと自分を見つめ、本気で今の仕事に本気で惚れるか、スピンアウトすべきなのです。
そもそも論として、人を育てるなどという発想自体がおこがましいかも知れません。
私は、「厳しさのなかでしか人は成長しない」と確信をもっています。
筋肉だって、破壊されて再生するときに「強く」なりますし、勉強だって、繰り返し・繰り返し退屈な反復学習をすることで「デキる」ようになります。
成長するには、自己否定(破壊)と退屈な反復を自ら強いる「忍耐」がなければなりません。
忍耐がなくても、成功している人や企業はいくらでもいるよ。
と反論を受けそうですが、世の中をよく見渡してみてください。
そういう人に限ってムダな波瀾万丈を強いられていることに気づかされるハズです。
万丈なら良いのですが、沈んだまま浮上しない人や企業も山ほど存在します。
だからこそ、どのような状況に追い込まれても「浮上」していく精神力や体力、知恵や発想力を身につけることが大切ですし、そこまで自ら(自社)を成長させていくことに、厳しくコミットすることが大事だと思うのです。
しかし、以前より「下手な鉄砲は数を打っても当たらない」と、営業マンの試行錯誤を否定してきた経緯もあり「藤冨は厳しい環境に身を置かせることに否定的なのでは?」と感じられている方もいらっしゃるようです。
ズバリご回答しますが、それは全く逆です。
私は、能力のない人、適正のない人にいくら努力をさせてもムダだと申し上げているだけです。
深い内面から人見知りの人に、飛び込み営業を強いたところで、どれだけ鍛錬しても結果を残すことはできません。
気弱な人に、ハードな交渉やクロージングが必要となる商談が必要となる営業現場で、継続的に成果を出し続けさせることは、不可能に近いことです。
ワニに腕立てをさせたり、亀に腹筋をさせるような指示は、「暴力」以外の何者でもありません。
だからこそ、適性に依存する「仕事」は、システマチックにこなす「仕組み」をつくり、そこから適性に依存しない「仕事」をできる限り創出して、ワーカーとしての営業マンが責任をもってあたるような体制をつくることが大切だと強く思っているのです。
御社では、人と仕組みについて深く洞察をした上で、適切な思想を組立て、仕事に落とし込んでいますでしょうか?
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