ワンチームと金太郎飴の根本的な違いとは?
今年の流行語大賞年間大賞は「ワンチーム」に決まったそうです。ラグビーワールドカップが終わった直後に「ワンチームはなぜ感動を与えるか」というコラムを書きましたが、その後「ワンチーム」という言葉はいたるところで使われようになりました。
たとえば保育園で。保母さんたちが「私たちはワンチームで子供たちの未来を創ります」とか。地域のコミュニティで「私たちはワンチームで地域社会を守ります」とか。チームワークの良さが成果に結びつきやすいという発想は、“和をもって尊しとなす”の私たち日本人には馴染みの深いものです。
他方、これだけもてはやされるということは、「言うは易し、行うは難し」のワードであるということの裏返しでもあります。アメリカが「自由と平等の国」と言われるのは、「自由と平等の国」を目指しているのであって、現時点ではそうでないことの裏返し、というのと同じです。
自分を押し殺してチームに貢献する、この発想をワンチームと定義すると、滅私奉公と同じになります。これでは江戸時代です。馬鹿にされてもさげすまれても刀を抜くことができず、悔し涙を流す時代劇の中のお侍さんです。
またワンチームは金太郎飴でもありません。チームのどこを切っても同じスキルやキャラであっては、長所や短所を補い合うことができず、チームである意味がありません。地球上に多様な生物がいるのは、気候変動や天変地異に際して生き残る種があるからこそ命を繋ぐことができるからです。
本来のワンチームは、一人一人を活かしながら共通のゴールを目指すものです。個と全体性の共存というテーマが大きく掲げられます。この共存が難しいのは、一人一人の意識の対象を自分から他人に移していかなければならないからです。
常日頃から他人をケアする立場の人は、意識の中に他人の存在を感じています。その人が今どういう状態で何を求めているか、ベテランのカウンセラーのようによく観察しています。仮に意見が対立しても、見ている世界が違うからと考えて、相手の視点を探ります。そして自分と相手との中間地点を見出そうとします。
つまりワンチームとして成果を出そうとしたら、個々の構成メンバーが自分を活かすのと同じくらい周囲を活かすことを考えることが必要です。それができていたので、ラグビー日本チームの姿が感動的であったのです。
個と全体性が共存する状態を指して、弊社では「マスアイデンティティ」と呼んでいます。これが個々の社員の個性を活かしながら、顧客との絆を強くする組織の特徴であり、ES―CSチェーンが循環する組織のありようです。この状態を目指したいという経営者の皆さま、ぜひお声がけください。
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